「なんのために生きてるんだろう?」久々に考えてみた。私自身が今、悩んでいるとか考え込んでるとかいうんではなく。そう考えている人がいたとして、私はなんて答えられるんだろう、と思ったから。
正直、その問いに意味はあるのかな、とも思う。でも、そう思うようになったのは自分も似たようなことを何年も考えていたから。だから考えることは決して無駄なことではないと思う。足元が揺らいで崩れていく感じがしてどうしようもなく不安だったとき。いろんな本を読んで、スピリチュアルな世界を覗いてみたりもした。本当に数多くのいろんな人たちが同じ疑問を持っていて、それならどこかに答えが出てるはずだと思った。でも「そう思えたら楽かもね」という答えはあったけど、私には馴染まなかった。でも、その本を読んで、自分の考え方がクリアになった気がした。ある意味、その本が言ってることとは正反対な答えが出た。
この世の中で決まっているのは「人は誰でも死ぬ」ということだけ。あとはいくらでも自分で変えていける。意味があるから生きているのではなく、生きていること、生まれてきたことに意味がある。てきとうに生きようが、一生懸命生きようが、心臓が止まればお終い。だったら、なんでこんなに頑張らなくちゃいけないんだろうと思ったこともあった。だけどそう思うとすべてが無駄になってしまう。だからこそ、何かを残したいと思ったときもあった。後に残る仕事をしている人たちに憧れたこともあった。でも、どうせあと何百年?何千年?かしたら地球そのものがなくなってしまうらしいから。それなら、今、生きている間に自分が納得できるようにしたい。
納得できる「今」。それは人それぞれだと思う。私にとって“それ”は今のところ仕事ではないけれど、でも“それ”を叶えるためにはやっぱり仕事も必要で。しかも、それは人と関わっていくことで生まれてくるものなので外で働きたいと思うわけで。“それ”は具体的な何かかもしれないし、言葉に出来ないようなことかもしれない。私はずっと前者しか有り得ないと思ってたけど、今はどちらかというと後者。(人ってホントに変わるよねぇ・・・)いずれにしても、そういうものがあると、きっといろんなことが楽しくなってくるし多少のことではめげなくなるのかな、と思う。認識してるかしてないかで、だいぶ違うし。やっぱり考えることは無駄じゃない。
昨日は「答えなんて出ない」って言ったけど。改めて考えてみて、私は「なんのために生きてるんだろう?」私の結論は「出会うため」。これからまだまだ出会いたいと思うし。人にもモノにも出来事にも。その出会いに前向きな気持ちでいられるために、心が健康でいられるために日々精進、なわけです。いっぱい学んで、いっぱい磨いて。ちゃんと働いて。そして、1日の大半の時間を過ごす仕事が自分にとって意義のあるものであり満足のいく毎日であるのなら、さらにハッピー♪って感じでしょうか。
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