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月: 2012年8月

バースデーイヴに日本酒三昧。

先日、たぶんもう10年ぐらい愛読しているブログを書いている方と初めて会うことになり彼女が大好きな日本酒のお店で飲んできました。私も日本酒は大好きですが、さほど銘柄とかを知っているわけではないので好みを把握して、いろいろとお勧めしてくれるお店はとても嬉しい。

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全部、篠峯!並べると圧巻です☆私が飲んだのは確か一番奥・・・かな?

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鶴岡のお酒。何度も言っちゃうけど庄内ラブなのです。

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左側の篠峯が残り少ないからということで味見させてもらったらなんか初めて飲む感じでした。あぁ、なんか私ってば好み変わったんだなぁ・・・と実感した一杯でした。

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で、同系列の味をということでお勧めしてもらったのがコチラ↑。美味しい~~~♪

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さらに歩を進めて、今度は古酒にチャレンジ!これは確かに古酒独特の味もするんだけど、全然飲みやすい。

この日思ったのは、私は実は常温が好きなんじゃないかということ。新しい発見だー☆

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そして、ワタクシ、この翌日が誕生日でして。初めて会うというのに、ちゃっかりお祝いしてもらっちゃいました。

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目の端っこでロウソクが点いたのを見て、あー誰か誕生日なんだなぁ~と思ってたら自分だったよ☆お酒を飲みながらでもスイーツでも何でも食べられる自分万歳!

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さらにお花と、お店からはリキュールをいただいちゃいました。わーーーい☆

しかもですね、この日、何を血迷ったかお財布を自宅に置いてくるという失態を演じてしまいまして。初めましての相手におごってもらうという・・・もうホント、ごめんなさい。でも、そのおかげで(?)次回は私がおごります!ということで次につなげることが出来た、と・・いうことで・・・今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m

それにしても初めましてでも全然普通に話せて良かったなー。ブログ読んでるから相手の内面をすでに見せてもらってるわけだし、それも一因だとは思うけどやっぱり彼女の持つ雰囲気が打ち解けさせてくれたんだろうな。それはブログを読み続けてたことに通じるのかもしれないけど。

何はともあれ、楽しいバースデーイヴでした。

『しあわせのパン』を観ました。

AppleTVで『しあわせのパン』を観ました。大泉洋さんが割と好きで、しかもなんとなくホッコリしたかったんです。私にとってはぜんっぜん現実的じゃないけど、ああいうお店を持つってあこがれだよなぁと思いながら、ああいう「丁寧な暮らし」っていいなぁ、と思いながら観ようかな、と。お店に来たことで救われた人の話。救われたエピソードが4つほど。その、最後のエピソードに胸を撃ち抜かれました。死ぬためにやってきた老夫婦。中村嘉葎雄さん演じるご主人が言うのです。

「昨日できたことが今日できなくなる」

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3年前に亡くなった祖母。記憶が曖昧になっていくことが怖くて仕方なかった祖母。そしてネガティブな発言しか出来なくなり、さらにそれを言い訳にするようになった祖母。気持ちは痛いほど分かるのに優しく出来なかった私。そんな祖母が亡くなった時、私は「ごめんなさい」しか思えなかった。いなくなった悲しみよりも、かわいくない孫でごめん、優しく出来なくてごめん、もっと一緒にいられなくてごめん、とにかく頭の中がごめんなさいでいっぱいになった。

同じ過ちは絶対に繰り返さないと決意をした。そして、その1年後に亡くなった祖父。最後の3ヶ月はほぼ毎日会いに行った。祖母が亡くなってからは生きる気力をなくし、記憶力抜群だったのに「思い出す」ことを放棄してしまった祖父。痛みがひどく見ているのも辛かったけれど、それでも毎日通った。私たちと話している時に、ふと「なんだ?みんないい格好してどこ行くんだ?」と訊いてきた。誰も「いい格好」なんてしていない。叔母たちと、誰が見えてるんだろうね、と笑い合いながらも、そろそろなのかなと思った。そしてその3日後だったか、明け方に病院から危篤の知らせを受けた。最期には間に合わなかったけれど、着いた時はまだ祖父の顔だった。もちろん悲しかったけれど、楽になれて良かったね、もう十分だよねと思えた。

そして半年後、震災が起き、父方の祖父の心配をしながらも、まだまだ大丈夫だと思ってた。一度だけ顔を見に行って、まだ寒いし、地震も怖いし、田植えの準備を手伝うのが嫌で、祖父が年老いているのを見るのが嫌で、もうちょっと落ち着いたら遊びに行こうと思うようにしてた。

まったく何も学習していない。一度(母方の)祖父をきちんと見送れたからって祖母を亡くした時の後悔をもう忘れた?あんなに突然いなくなっちゃうなんて。何もできなかったじゃないか。最後の数年、祖父が飲んだ姿を見ていつも情けなく思ってた。一緒に飲んで酔っぱらっている祖父をからかう若者に腹を立てていた。飲んでいる途中で席を立つ時に、父が祖父のベルトひもを掴んで支えているのを見るも嫌だった。トイレに間に合わない姿を見るのも辛かった。恥ずかしいわけじゃない。先が長くないと思うのが辛かった。

だけど。本当に辛いのは私じゃなくて祖父だったはず。思うように歩けなかったり、薬を取り出すのもリモコンを押すのも難儀だったり。自分の家に上がることも一苦労だったり。ずっと当たり前にやってきたことが出来なくなる。辛かっただろうな。怖かっただろうな。だけどそのことについて誰に何を言うでもなく。見るのが辛いだなんて、そんなの言い訳にもならない。つまるところ、めんどくさかっただけじゃないか。そんなことをいろいろと思い出し、自分を責め、悲しくなった。まさかそんな感情を揺さぶられる映画だとは思わなかった。

51%どころの話じゃない。ここ1年以上、自分の80%ぐらいをずっと占めてるけど、少しずつ目を逸らすことを覚え始めた祖父のこと。久しぶりにガツンと来ました。

飛んできた火の粉は払わないと。

昨日久しぶりに、以前3日間限定のストーキングをされた話をした。初めてその相手と接触をした時に、まず何が起きたのかまったく理解が出来なかったこと。そして相手がまともじゃないと気づいてからは、とにかく怖くて仕方がなかったこと。さらに、公共の場ではあったけれど、たぶん今何か起こってもここにいる誰も私を助けてくれないだろうと思ったこと。時間が経つに連れて、怖がった自分が悔しくてたまらなくなったこと。あまりに悔しくて、怖がらない自分を手に入れたくて、格闘技を習い始めたこと。何かあった時に相手を倒せるとは思わないけれど、とりあえず一撃だけ与えて逃げるぐらいのことが自信を持ってできるようになれば、怖くなくなるんじゃないかと思ったこと。などなどを話したのだけれども。それだけ怖い目に遭った時に逃げるのではなく闘うことを選んだのかと感慨深げに聞いてくれた。突飛な考えかもしれないけれど、大学の時にも父親の仕事がらみで身の危険を感じたことがあったので、こういう目に遭うということがさほど特殊なことではないという意識があった。自分の身ぐらいは自分で守れるようになりたかった。

その話を聞いてくれた人も実はいくつかの格闘技経験者で、やっぱり公共の場でまともじゃない相手に絡まれたことがあったらしい。何のやりとりもないまま突然横から現れて頭突きを食らったらしい。直撃ではなかったのでダメージもなく、すぐに臨戦態勢に切り替えることが出来たけど、ちゃんと鍛えているその人でさえ、いざ実戦となった時は、やっぱり100%の力を出せず、最終的にダウンさせられなかったし、後になってあそこでこうしておけばよかったと思うことがあったと。戦っている内に周りが見えてくると、周囲の目が気になって恥ずかしいという気持ちも生まれてきたそうだ。

私が通っていたジムもかなり実戦に即した教え方をしていたけれど、じゃあいざ相手が本気で何かしようと襲いかかってきたら避けることが出来るのか、無傷で逃げることが出来るのか3年近く通ってみてもなかなか実感が湧かず、さらにはなんとなく平穏無事な毎日を送っていたら続ける意義が見当たらなくなってしまったし、資格試験に追われてなんとなく遠ざかってしまったのだけど。

その人には、そういう身を守る術を覚えたところで攻撃的になるわけではなく、あくまでも守りなんだけどやっぱり今の世の中いつどこで何があるか分からず、理不尽なことが起こった時に、自分の身は自分で守らないといけないし、やっぱり火の粉が飛んでくれば払わなくちゃいけない。何かが起こった時には思うように動けなかったりするからこそ、普段から身体を動かしておくことが必要なんだと言われて確かにその通りだなぁと思った。

いつでもすぐに切り替えることが出来るように、せめて、外では携帯とか音楽とかに気を取られないように気をつけよう。