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飛んできた火の粉は払わないと。

昨日久しぶりに、以前3日間限定のストーキングをされた話をした。初めてその相手と接触をした時に、まず何が起きたのかまったく理解が出来なかったこと。そして相手がまともじゃないと気づいてからは、とにかく怖くて仕方がなかったこと。さらに、公共の場ではあったけれど、たぶん今何か起こってもここにいる誰も私を助けてくれないだろうと思ったこと。時間が経つに連れて、怖がった自分が悔しくてたまらなくなったこと。あまりに悔しくて、怖がらない自分を手に入れたくて、格闘技を習い始めたこと。何かあった時に相手を倒せるとは思わないけれど、とりあえず一撃だけ与えて逃げるぐらいのことが自信を持ってできるようになれば、怖くなくなるんじゃないかと思ったこと。などなどを話したのだけれども。それだけ怖い目に遭った時に逃げるのではなく闘うことを選んだのかと感慨深げに聞いてくれた。突飛な考えかもしれないけれど、大学の時にも父親の仕事がらみで身の危険を感じたことがあったので、こういう目に遭うということがさほど特殊なことではないという意識があった。自分の身ぐらいは自分で守れるようになりたかった。

その話を聞いてくれた人も実はいくつかの格闘技経験者で、やっぱり公共の場でまともじゃない相手に絡まれたことがあったらしい。何のやりとりもないまま突然横から現れて頭突きを食らったらしい。直撃ではなかったのでダメージもなく、すぐに臨戦態勢に切り替えることが出来たけど、ちゃんと鍛えているその人でさえ、いざ実戦となった時は、やっぱり100%の力を出せず、最終的にダウンさせられなかったし、後になってあそこでこうしておけばよかったと思うことがあったと。戦っている内に周りが見えてくると、周囲の目が気になって恥ずかしいという気持ちも生まれてきたそうだ。

私が通っていたジムもかなり実戦に即した教え方をしていたけれど、じゃあいざ相手が本気で何かしようと襲いかかってきたら避けることが出来るのか、無傷で逃げることが出来るのか3年近く通ってみてもなかなか実感が湧かず、さらにはなんとなく平穏無事な毎日を送っていたら続ける意義が見当たらなくなってしまったし、資格試験に追われてなんとなく遠ざかってしまったのだけど。

その人には、そういう身を守る術を覚えたところで攻撃的になるわけではなく、あくまでも守りなんだけどやっぱり今の世の中いつどこで何があるか分からず、理不尽なことが起こった時に、自分の身は自分で守らないといけないし、やっぱり火の粉が飛んでくれば払わなくちゃいけない。何かが起こった時には思うように動けなかったりするからこそ、普段から身体を動かしておくことが必要なんだと言われて確かにその通りだなぁと思った。

いつでもすぐに切り替えることが出来るように、せめて、外では携帯とか音楽とかに気を取られないように気をつけよう。

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