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『しあわせのパン』を観ました。

AppleTVで『しあわせのパン』を観ました。大泉洋さんが割と好きで、しかもなんとなくホッコリしたかったんです。私にとってはぜんっぜん現実的じゃないけど、ああいうお店を持つってあこがれだよなぁと思いながら、ああいう「丁寧な暮らし」っていいなぁ、と思いながら観ようかな、と。お店に来たことで救われた人の話。救われたエピソードが4つほど。その、最後のエピソードに胸を撃ち抜かれました。死ぬためにやってきた老夫婦。中村嘉葎雄さん演じるご主人が言うのです。

「昨日できたことが今日できなくなる」

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3年前に亡くなった祖母。記憶が曖昧になっていくことが怖くて仕方なかった祖母。そしてネガティブな発言しか出来なくなり、さらにそれを言い訳にするようになった祖母。気持ちは痛いほど分かるのに優しく出来なかった私。そんな祖母が亡くなった時、私は「ごめんなさい」しか思えなかった。いなくなった悲しみよりも、かわいくない孫でごめん、優しく出来なくてごめん、もっと一緒にいられなくてごめん、とにかく頭の中がごめんなさいでいっぱいになった。

同じ過ちは絶対に繰り返さないと決意をした。そして、その1年後に亡くなった祖父。最後の3ヶ月はほぼ毎日会いに行った。祖母が亡くなってからは生きる気力をなくし、記憶力抜群だったのに「思い出す」ことを放棄してしまった祖父。痛みがひどく見ているのも辛かったけれど、それでも毎日通った。私たちと話している時に、ふと「なんだ?みんないい格好してどこ行くんだ?」と訊いてきた。誰も「いい格好」なんてしていない。叔母たちと、誰が見えてるんだろうね、と笑い合いながらも、そろそろなのかなと思った。そしてその3日後だったか、明け方に病院から危篤の知らせを受けた。最期には間に合わなかったけれど、着いた時はまだ祖父の顔だった。もちろん悲しかったけれど、楽になれて良かったね、もう十分だよねと思えた。

そして半年後、震災が起き、父方の祖父の心配をしながらも、まだまだ大丈夫だと思ってた。一度だけ顔を見に行って、まだ寒いし、地震も怖いし、田植えの準備を手伝うのが嫌で、祖父が年老いているのを見るのが嫌で、もうちょっと落ち着いたら遊びに行こうと思うようにしてた。

まったく何も学習していない。一度(母方の)祖父をきちんと見送れたからって祖母を亡くした時の後悔をもう忘れた?あんなに突然いなくなっちゃうなんて。何もできなかったじゃないか。最後の数年、祖父が飲んだ姿を見ていつも情けなく思ってた。一緒に飲んで酔っぱらっている祖父をからかう若者に腹を立てていた。飲んでいる途中で席を立つ時に、父が祖父のベルトひもを掴んで支えているのを見るも嫌だった。トイレに間に合わない姿を見るのも辛かった。恥ずかしいわけじゃない。先が長くないと思うのが辛かった。

だけど。本当に辛いのは私じゃなくて祖父だったはず。思うように歩けなかったり、薬を取り出すのもリモコンを押すのも難儀だったり。自分の家に上がることも一苦労だったり。ずっと当たり前にやってきたことが出来なくなる。辛かっただろうな。怖かっただろうな。だけどそのことについて誰に何を言うでもなく。見るのが辛いだなんて、そんなの言い訳にもならない。つまるところ、めんどくさかっただけじゃないか。そんなことをいろいろと思い出し、自分を責め、悲しくなった。まさかそんな感情を揺さぶられる映画だとは思わなかった。

51%どころの話じゃない。ここ1年以上、自分の80%ぐらいをずっと占めてるけど、少しずつ目を逸らすことを覚え始めた祖父のこと。久しぶりにガツンと来ました。

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