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月: 2017年3月

日本酒のお店。

転勤の挨拶は済んでいるお店だけど最後にもう一度行っておきたいお店というのが名古屋に二つあるのですが、そのうちの一つに行ってきました。その名も『日本酒天国おにたいじ』。初めて行ったのは2年前のゴールデンウィークです。当時はオープンして1年ちょっとぐらいだったのですね。日曜日もやっている貴重なお店です。毎回、ついつい飲みすぎてしまう危険なお店でもあります。店長さんとはとても好みが合うと思うんです。こうやって見るとけっこう覚えてないお酒も多いなぁ。たまには2杯ずつで帰れることもあったのね。そして最初の頃はけっこう冷酒のまま頼んでるよね。父を連れて行ったこともありました。でもこの日はちょっとハズレ。なんとなく店長さんの方向性もぶれてきていたような(笑。そういえば九郎右衛門にハマったのもこのお店のせいです。あ、かみなりチャーハンは本当にお勧めです。まだまだ知らないお酒がたくさんあるなぁとこのお店に来るといつも思います。再び好みの味のお酒が多くなってきました。大七に出会ってしまったのもこのお店再び父を連れて行ったり飲んだことのないお酒を飲んだり、頼んで入荷してもらったお酒を飲んだりしていたら転勤が決まったので、店長さんに報告したのが前回。こうやって過去記事を探してみたら、今日で14回・・・思ったより少なかったのね。

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最後のスタートは店長さんおすすめの千代むすび 純米吟醸 強力と、朝日米なら美味しいに違いないと頼んだ今西 純米吟醸 朝日。

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日輪田の山廃雄町はよく見かけるけど飲むのは初めて。旭興も初めてです。生?純米、無濾過生原酒。

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旦もよく見かけますが、特に理由はありませんがようやく飲む気になりました。純米です。雑賀の山廃純米 八咫烏ラベルは一度飲んでたことに頼んでから気が付きました。

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最後はダルマ正宗と天遊琳の古酒飲み比べ。ダルマさんは酉年ブレンドなので平成17年、平成5年、昭和56年。あと平成9年も混ざっているそうです。天遊琳は平成17年のみ。ダルマさんはダルマさんらしい味。天遊琳は飲むたびにこんなに美味しかったっけ?と思う不思議なお酒。古酒でもじゅうぶん行ける。というか、熟成させてこそ本領発揮なのかもしれません。ちょっと我が家のラインナップに加えたくなりました。

このお店はお酒も料理もとても美味しいけれど、やっぱり店長さんの人柄が何より素敵なので本当にお勧め。誰に対しても態度を変えることなく温かく迎え入れてくれるし、いつも楽しくお仕事をしていて、どんなに忙しい時でもテンパっているところを見たことがありません。何度か通っているうちには味の好みを覚えてくれて、いろいろ好みに近いお酒をお勧めしてくれるのも嬉しい。そんな、いつもオープンでウェルカムな店長さんですが、見るからに泥酔状態のおじさんが入店しようとした時には毅然とした態度でお断りしていて、有無を言わせず追い返してしまったところを目撃してしまい、最後の最後に、さらに好感度アップでした。

名古屋で日本酒と言えば真っ先にお勧めしたいお店です。

日本酒天国 おにたいじ
〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅4-23-10
電話番号  050-3464-9167
営業時間  17:00~翌3:00
定休日  無
分煙

ミッドランド。

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名古屋駅前のミッドランドスクエアは10周年だそうですよ。まぁ私が初めて名古屋に来たのは6年半前だと思うので、来た時にはすでにそびえ立ってたんですけどね。

二日連続。

また夜中に泣きながら目が覚めました。何なんだ…

今度はなぜか病気の子犬を見つけて(中略)私が他の人に対してものすごく怒ってる間に私の腕の中で死んでしまうという夢。目が覚めても悲しくて悲しくて、トイレに起きたダーリンが戻ってきたのを見て嫌な夢を見たと話して「ワンコが死んじゃった」と号泣してしまったら、足元で眠っていた猫が心配してなぐさめに来てくれました。しゃくり上げるのが止まらない私にスリスリして来たので猫の頭をなでていたら私の呼吸が落ち着いてきたのを見て、私の胸の上に前脚を乗せてゴロゴロと喉を鳴らしながら丸くなりました。いつも私が泣くとなぐさめてくれる猫なのですが、ダーリンとケンカをすると怖がって隠れてしまうのだけど、もう大きな声を出すのはやめようと心に誓いました。

最近は泣きながら目が覚めることはなくなってたんだけど、なんだろなぁ。

クォーターパウンダー。

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マクドナルドのクォーターパウンダーが販売終了ということなので、なくなってしまう前に食べてきました。私はマックではクォーターパウンダーチーズのチーズ抜きかてりやきマックバーガーしか食べないのですが、これからはてりやき一択になってしまったよ。

記憶。

真夜中、久しぶりに泣く夢を見た。大学院受験の教室で、審査員たちのあまりの白け具合に、あぁ落ちたな・・・と思った後、場所も時も変わって、たぶん今の年齢になっていたのだと思うけれど、母に「私がピアノをやめなくちゃいけなかったのは、ただ才能がなかったからだね」と泣きながら自分で認め、母の悲しそうな顔を見たところで目が覚めたら、現実にも泣いていた。目が覚めてからも、そうだよなぁ・・・あんな程度の演奏しか出来ないんだもん、続けてても仕方なかったよなと思って、さらに泣けてきたので、温かい飲み物でも飲んで落ち着こうと起きて、一口飲んで我に返った。これは本当の記憶じゃない、ただの夢だ。

実際の記憶はこっち。もちろん確かに「あぁ落ちたな・・・」と思った試験もあったけど。でも、それはもうやめると決意をした後のことだし、練習もせずレッスンも受けず、やる気ゼロで向かったので当然の結果。

大学の恩師の母国へ留学し、初日から40度近い熱を出したことも、練習用のピアノが見つからないことも、師事するはずだった教授が不在の間、同い年のアシスタントからレッスンを受けることも耐えたのに。戻ってきた教授とのレッスンは楽しかったけど、冬季は3ヶ月ほど学校が閉まると聞いて、この国にはこれ以上いても無駄だと帰国することに決めた。

次に行く先を求めてウィーンで先生探しをした時には、大学の(見ず知らずの)先輩を頼って面識のない先生のレッスン室のドアを叩いてピアノを聞いてもらい、君は日本人にしては感情のこもった演奏をするねと気に入ってくれた教授の自宅レッスンを受けたのだけど、レッスンを終えた後のお茶の時間に教授が笑顔で私のピアノについてコメントをしてくれていたのに、それを訳してくれた教授の妻(日本人)曰く、あなたには才能がない。曲に感情がまったくなく聴いていても心に何も響かない、はっきり言って音楽を演奏する資格がないと思うとのこと。もうピアノはやめます、これ以上続ける気力がありません、と泣きながら(前述とは別の)恩師に伝えて日本に帰国。現地でピアノを貸してくれた日本人調律師にお礼と報告の電話をかけると、いくらなんでもそんな言い方をするわけがない、そう思っているならそもそもレッスンなんてしなくてもよいわけで、彼らはドライだから受からないと思う人には気を持たせるようなことはせずきちんと伝え、受験目的のレッスンはしないはずと言われた。数日経って改めて電話をかけてきてくれたところによると、その教授の妻は自分が生徒の時に略奪婚をしている(しかも自分で3人目)ので、日本から生徒が来るとそのような嫌がらせをするとのこと。そんなところへ師事する気にはならないので願書は取り寄せたものの、出願はしなかった。

最後のチャンスとなったアメリカでは、私の母校で教えていた外国人客員教授から、紹介はできないけれど自分の名前を出せばピアノを聞いてくれるぐらいのことはしてくれるだろうと自分の生徒の元恩師の名前を挙げてもらい、その先生のいる大学の事務局からメールアドレスを教えてもらい、ぜひピアノを聞いてほしいというメールを送ったら、1月はこの1週間しか自宅にはいないので、そこに合わせて来られるのであればレッスンしましょうとのこと。また恩師の遠い親戚がたまたまその大学にいるので紹介してもらった。もし今回レッスンを受ける先生が気に入ればいいけど、もし合わないと思えば別の先生を紹介してあげると言われ、心強い味方を得た気がした。実際に、その先生のレッスンを受けて、ぜひ生徒になって欲しいと言われたし、先生自身もとても素晴らしい演奏をする方だったのだけど、ブラジル出身でラテン系のレパートリーが多く、その先生が演奏するととてもかっこ良いのだけど、ドイツ系の作品に合う私の音では弾きこなせる自信がなく、とりあえず別のアメリカ人の先生も紹介してもらうことにした。そして、そちらの先生にも気に入られ、入試までの間、レッスンをするからずっと滞在していなさい、そして新学期が始まる9月はちょっと演奏ツアーに出るから、ビザ取得のために一時帰国する必要があるだろうけど、新学期前にレッスンしたいからまたすぐ渡米しなさいとまで言ってくれた。そしてホテルを出てホームステイをしながら何度かレッスンを受け、2月の試験当日。バッハの平均律に始まり、ベートーヴェンソナタ、シューマンの幻想曲、ガーシュウィンのプレリュードを弾き、ノリノリの雰囲気で試験を終え、会場を出たら後ろからブラジル人の先生が追いかけてきてハイテンションで絶対キミを生徒にしたいと言い、角を曲がったらアメリカ人の先生が待ち構えていて、ブラジル人の先生には私から話しておくから、キミは私の生徒だよ、と言って去って行った。

本当はすべり止めのつもりだったこの大学で、とても楽しく過ごせそうな気がした。実際、試験までの1ヶ月間滞在をして、あぁここが私の居場所だと感じたこの場所でようやくのびのびピアノが弾けるんだなぁと思いながらも、一応本命のもう一校の試験が1ヶ月後にあり、まだ一度もレッスンを受けていない課題曲もあり、一度帰国をしたその夜。恩師に報告の電話をしているところへ、恩師の親戚から恩師宛にキャッチホンが入った。それが三度目の悪夢の始まり。

その夜、何度恩師に電話をかけてもつながらず、そんなに長く何を話しているんだろう。その夜は遅くなってしまったので諦め、翌日の夜再びかけ直すと、恩師の旦那さんが出た。「あぁ・・・◯◯さんね。ちょっと待っててくださいね。」長々と待たされた後、恩師の「アナタ、なんてことしてくれたの」という怒りの声が聞こえてきた。

前夜の親戚からの電話は私に関する苦情だった。私がいかに礼儀知らずだったか、いかに遊び呆けていたか、いかに他の日本人留学生たちに悪影響を与えたか。そして挙げ句の果ては恩師の悪口を言っていたと。どうやったらそこまで嘘をつけるのか、未だに理解に苦しむほどのデタラメばかり。それぞれ語った出来事は確かにあったことだけど、私の取った行動や結果はすべて嘘。人が悪意を持って嘘をついたり人を傷つけようとすること、恩師とはその頃すでに10年近い付き合いだったにも関わらず何をどう説明しても信じてもらえなかったことの両方がショックで、本当に久しぶりに声を上げて泣いた。

何も悪いことをしていないのに、なぜこんな目に遭うんだろう。ピアノなんて弾いているからこんなに嫌な目にばかり遭うんだ、今度こそ本当にピアノは辞める。とりあえず飛行機とホテルを取ってしまっていた学校の入試だけ受けに行き、もちろん玉砕した後、アメリカ人の先生には長い長い手紙を書き、もう普通に働こうと仕事探しを始めました。英会話教室の受付を始め、それなりに楽しんでいた夏のある日、アメリカ人の先生から手紙が届いた。しばらく家を空けていたけれど、ツアーの合間に家に戻ったら出したつもりでいた返信の封筒が食卓の上に置いてあるのを見つけて慌てて書き直していますという書き出しで始まり、一人の、私の専攻には関係のない人との誤解が理由でアメリカで学ぶチャンスを棒に振るなんて間違っている。事務局には私から掛け合うからもう一度I-20(入学許可証)を発行してもらって今すぐアメリカ大使館の予約を取りなさい、という内容だった。誤解、misunderstandingという一言で片付けるにはちょっと事が大きい気がしたけれど、わざわざ改めて手紙を書き直してくれた先生の気持ちが嬉しくて、先生に電話をかけ、学校にも電話をし、クラス分けの試験は先に受けに来てもらわないと困るけど、そのあとはいったん帰国して学生ビザを発行してもらってから入学手続きを始めるからと学費納入期限を延ばしてもらい、夏休み中の8月末に再び渡米。クラス分け試験を受け、入試の時に仲良くなった別の大学に留学して(転校するために受験して)いた日本人の女の子と一緒に廊下を歩いていたら、夏休みでいないはずの恩師の親戚が前から歩いて来た。その瞬間の、私はもうこの学校には来ないと思っていた相手の「やばっ」という表情と、顔を見た時の自分の怒りと殴りかかりたいほどの衝動を目の当たりにして、この状況で2年間ここで過ごすのは無理だと悟り、それまでは何も悪いことをしていないのにと思っている自分が実は一番嫌なヤツで、アメリカでもウィーンでも気付かないうちに相手を不快にさせていたのかもしれないと思うことも増えていたけれど、あの一瞬の表情を見て、あぁ、やっぱり理不尽な嫌がらせをされたんだなと思い、隣りを歩いていた子も、私の話を聞いてもこちらに非がないのにそんなことする人がいるのか半信半疑だったけど、あの表情見た?やっぱりまゆみちゃん悪くないよ。悪だくみを見つかって今にも逃げ出しそうな顔してたよねと言ってくれたのを聞いて、ようやく自分には非がなかったんだと思えた。

日本に帰って、I-20を破り捨て、ピアノからは離れようと決めた後、某社で秘書として働き始め、ピアノを弾いていない私のことを受け入れてくれる人たちがいるという今から考えればごく当然のことが嬉しくて、この人たちにピアノを聞いて欲しいなと思い、その社屋の向かいにあるビルのオープンスペースで友人とデュオコンサートを開き、その日を境に一切ピアノに触らなくなった。

これが(もうずいぶん前のことなので記憶も曖昧にはなってきてるけど)ピアノをやめた本当の理由。夜中に目が覚めた時の「入試での手応えのなさから自分の才能に見切りをつけた」という夢が記憶にすり替わりそうな感覚があまりに怖かったので、一度書いたはずだけどどこかに消えてしまったこの一連の出来事を改めて文章に書きだすことにした。すっかり克服した気になっていたけど、やっぱり今でも痛いなぁと文字通り痛感した。

小笹屋。

4、5回しか来てないけど、私たちを覚えてくれている店長さんのいるお店で晩ごはん。店長さんに転勤の報告をすると、お祝いにと小笹屋竹鶴をご馳走してくれました。何でも、竹鶴さんはもう小笹屋を作らないらしく、 ※ その価値を分かってくれる人に飲んで欲しいとのこと。ありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ 20BYでいい色をしてました。時間が経つとどんどん柔らかく美味しくなっていきました。

※2017.5.15追記
5月14日に竹鶴酒造さんに直接確認したところ、そんな予定は一切なく完全なデマですとのことでしたので訂正します。

【宣言】禁フライドポテト。

お寿司屋さんを出た後もなんとなく名古屋駅まわりをてくてくすることにしました。四間道を通って円頓寺商店街へ。

お蕎麦屋さんで蕎麦生麩を食べながら一杯。房島屋も無風も何気に初めて。どちらもけっこうなクセのある味で大満足。

途中でこのお店の常連さんと思われる女性が3人やって来て外の席で飲み始めたのですが、最初は1人が顔を覗かせてビールを1杯だけ頼み、飲み始めてしばらくして、もう1人がトイレに行きがてら中に入ってラムネとフライドポテトを頼みました。そして店員さんが揚げたてのポテトとラムネを持っていくと、ビールを飲んでいないうちの1人がポテトを受け取り、もう1人の先ほどオーダーをした方がラムネを受け取りました。なんとなくそのテーブルの様子を見ていたら、ポテトを受け取った子はそのお皿をテーブルの真ん中ではなく自分の目の前に置き、ひたすらパクパクと食べています。そこでようやくポテトはみんなのつまみではなく、3人がそれぞれオーダーしたものを口にしている、つまりポテトの子は飲み物ではなくポテトを頼んだのだと気がつきました。そのことをダーリンに言うと「フライドポテトは飲み物ですってこと?」と言うので大爆笑。そして一緒にいる2人との体型の差を見て、私も大のフライドポテト好きで飲む時はたいてい頼んでしまうのですが(ポテトサラダとどちらにするか悩むことも多々)、今後はお酒のアテとしてフライドポテトを頼むのはやめることにしようと決意しました。

お寿司屋さん。

東京から戻ってきて、名古屋駅でダーリンと待ち合わせ。久しぶりに柳橋市場をふらふら。週末なのでガランとしてます。天ぷらとワインのお店やカツ丼と珈琲のお店が気になっていたのだけどどちらもお休みでした。

お寿司屋さんが開いていたのでネギトロ丼が食べたくて入ってみました。このマグロがまた絶品でねぇ(*´?`*)?ダーリンは漬けマグロと穴子丼。名古屋でこんなに美味しいお魚が食べられるなんてと二人で感動してしまいました。

日本酒もいろいろ置いてありました。今日は日高見にしました。昼酒は幸せだなぁ。卵焼きを頼んだらこれまた美味しくて幸せ度がドドンとUPしました。

カウンター席だったのでお寿司を握っているのが見えてとても楽しかったです。回らないお寿司屋さんでカウンターに座るのは、お仕事関係の人たちと飲んでだいぶ酔っ払ってから連れて行って行ってもらうぐらいで、そもそも魚は苦手なのであんまりカウンターの中に注意を払うことはなかったので、軍艦巻きを巻いているところを目にしたのは初めてで、海苔を巻いて止めるのにごはん粒を使うということを初めて知ったので思わず感嘆の声を上げてしまいました。

大将がイクラの軍艦巻きの海苔を巻いている時にちょっと海苔が切れてしまったので作り直し、その失敗作がしばらくまな板の上に置いてあり、あれはどうするんだろう?と気になっていたのですが、私の視線が釘付けになっていることに気がついた大将が「これ、いる?」と訊いてくれたので思わず何度も頷いてしまい、「欲しいの?ホントは隠れて食べようと思ってたのに(笑)」と言っている間も頷いていたら、お皿にのせて私の前に置いてくれました。半分にすることも出来ず、一人でペロリといただいてしまいましたが、これがまた美味しくてねぇ(*´?`*)? ずーっとニヤニヤが止まりませんでした。イクラは根室から醤油漬けが実家に毎年届くので私の中での閾値が高すぎてなかなか満足できるものに巡り合えないのですが、そのいつもの醤油漬けの濃厚さとはまったく違うさっぱりしたイクラなんだけど、旨味が絶妙で、しかも砂糖の入っていない酢飯のほんのりとした酸味によく合う。ひたすらニヤニヤしてたらダーリンも食べたくなってしまったようで大将の策略にハマってしまった気がしないでもないですが(笑)、結局ダーリンも頼んでました。そしてついでに中トロの握りもお願いしちゃいました。

はぁ?、美味しかった?

東京泊。

昨日は父の70歳の誕生日だったので、両親、兄一家、私たち夫婦で集まって、銀座のフレンチレストランでお祝いをしてきました。甥っ子は学校の課外授業で欠席だったのですが、デザートの時間には間に合いそうだったので急遽合流することになり、一人で地下鉄を乗り継いでやって来ました。予定外の出来事が大好きらしく(この辺りは私と同じ血を感じます)、ちょっと得意そうな表情を見せ、今は中1の反抗期真っ只中で可愛げがないけどやっぱり可愛いです。

16時ごろ解散し、ダーリンとマリアージュ・フレールでお茶をして、その後はアンテナショップをちょいちょい覗きながら東京駅までお散歩。私は恵比寿で約束があったので、ダーリンだけ先に名古屋へ。

恵比寿では、10年前に働いていた会社の方達二人と久しぶりの再会でジンギスカンのお店へ。しっかり話をしたのは名古屋へ引っ越してくる直前、顔を合わせたのは引っ越した後に結婚式に招んでいただいた時以来なので2年半ぶりです。二人とも会社を辞める(た)そうで人生の転機に色々話を聞けたのはなんだか嬉しかったです。最初はたまたまこの3人で集まったのですが、みんなバラバラな個性なのが楽しくて定例会にしようと話した後に私が名古屋へ引っ越してしまったので今回で3回目ですが、やっぱり楽しいのでこれからも続けられたらいいなと改めて思いました。

そして、昨日は一人東京泊まりだったのですが、三連休ということもありホテルが高くて空きも少なく、ようやく取れた部屋が禁煙ではなかったのをすっかり忘れてチェックインしてドアを開けて「ぉぉぅ、、、( ´△`)」となりました。窓を開け放ち、部屋中(床にも壁にも)消臭スプレーをシュッシュッとかけまくっても気休めにしかならなかったけど、朝早く起きてけっこう疲れていたので寝付きは良かったのですが、明け方あまりの匂いに気持ち悪くなって目を覚まし、そのまま匂いが気になって眠れなくなってしまいました。

朝食付きのプランだったのですが、早く新鮮な空気が吸いたくなったので朝ごはんは食べずにチェックアウトして品川駅で食べることにしました。

満席で外のテラス席になってしまったけど(またもや喫煙席)、ちょうどタバコを吸っている人がいないタイミングだったので思いがけず優雅な朝食を食べることができました。

まぁ、なんかずっと狙われてて落ち着かなかったけどね。そういえばイタリアのスズメはもっと図々しかったような気がしたけど、日本のスズメは遠巻きに首を傾げてアピールしてきて控えめなのねと思いました。