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月: 2018年4月

氷結メロン。

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氷結メロンにバニラアイスをのせると大人のメロンソーダになるとのことなのでやってみました。

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うん、言いたいことは分かったし美味しいけど、またやりたいかというとそれほどでもないかな。それにしても、氷結メロンを探すのが思いがけず大変だったよ。

九州ラーメン。

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遅めのランチと早めの夕食を兼ねて、博多ラーメンと熊本ラーメンのお店へ入ってみました。相変わらずこのタイプの麺は好きになれないけど、味はとても好みでした。ダーリンはターロー麺がお気に召したご様子♪ラーメンなので私の中での優先順位は低めだけど、また行こうリストに入れておきます。

下町。

今日のデートは東京の東側で。バーベキューの鉄板に蓋が欲しかったので合羽橋へ行こう!と思いついたのでした。

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まずは入谷で降りて腹ごしらえ。適当に入ったパスタ屋さんがとても美味しかった!麺はモチモチだし、味は適度な塩気で言うことなしです。

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合羽橋道具街に着き、目当てのものを購入した後、気になるお店へ入ってみました。こんなところに酒屋さんがあるなんて!しかも角打ちも出来るなんて!外国人観光客が多いこともあり、試飲できるのはすべてキンキンに冷やされていましたが(燗にも対応してくれるようでしたが、あまりに繁盛していたので遠慮しておきました)、手で温めたら美味しくなりました。常温のお酒も売っていたので、そこから2本ほど購入。ホントはもう1本欲しいものがあったのだけど、本店の方に一升瓶が置いてあるということだったので、そちらへも伺いました♪

そしてさらに東へ向かい、以前住んでいた街にあるコーヒー屋さんへ。

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このレアチーズケーキが食べたかったのです。相変わらず美味しくて、にんまり。でもダーリンが頼んだパン・デ・ローなる食べ物も美味しかった!初めて聞いたと思ったけど、半熟カステラと聞くとどこかで買ったか食べたかしたような気もするんだよなぁ。そして全然美味しくなかったような・・・でも、ここのは超絶美味しかった。そう簡単には来られないので、東京の西側で美味しいパン・デ・ローのあるお店を探したいところです。

夜は少し戻って銀座へ。前回予約せずに行ったら入れなかったお店へ、直前に電話をして伺いました。

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ブルガリアワイン。BORBITZA Cabernet Sauvignon。一口目はずいぶん軽いなぁと思っただけだったんだけど、二口目以降は「なんかハズレかも・・・」と思い始め、しばらく置いておこうかなと放置して、肉料理が来て一口食べた後に飲んだら、やたらと美味しくなっていました。

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前菜は野菜たっぷり。

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メインは豚の肩ロース肉。とても美味しいんだけど、なぜか食べると寒気がして、残念ながら全部食べ切ることが出来なかった。たま~にあるんだけど、あれは一体何なんだろう。美味しくないからの時もあるし、お腹がいっぱいだからの時もあるんだけど、美味しいと思ってるしお腹も余裕があるのに寒気がする時があるのが不思議。今回はデザートのプリンも食べ切れず残してしまった。無念。

お店を出たら寒気も収まり、普通に帰ってきました。

日本橋。

朝から病院行って夕方も病院行って、なんだか疲れた一日。

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スターバックスでひと休み。

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ここ滋賀まで歩いた後、日本橋でごはん。楯野川 純米大吟醸と真澄 純米吟醸 辛口生一本
、一ノ蔵 掌という珍しいチョイス。

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ここ滋賀では湖のくに酒粕生チーズケーキを買ってきました。七本鎗と松の司。どちらも美味しかった。

ダイナー。

リハビリの帰りはウォーキングをすることにしているのだけど、毎回なるべく違う道を通るようにしています(←ただのクセです)。適当なところで曲がってしばらくしたら現在地を確認して、というのを繰り返していたら、あとは一直線で知っている道に出る、というところまで来たのでそのまま真っ直ぐ歩いていたら出くわしたアメリカンダイナーっぽいお店。

そのまま吸い込まれたものの持ち合わせが少なかったので食べたいものを食べられず、週末ダーリンを誘って来てみました。

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久しぶりのセブンアップ。美味しい♪

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BLTサンドウィッチとベーコンチーズハンバーガーにチリポテト。食べ過ぎかなと思ったけど、意外とパンパンにはならずちょうど良い感じでした。

今度は夜に来てみたいなと思いました。

ワインで晩酌。

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夕食前にワインを飲み始める、の巻。

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この間銀座で飲んだDE BORTOLIが家でも美味しいかどうかを確かめるべく、買ってきたのだけど。これは我が家のハウスワインにして良いと思います。

そして先日成田で見かけた鉄砲漬け。成田名産とは知らなかったし、どんなものかも知らなかった。けど、スーパーに売っているのを見かけてなんとなく買ってきました。一口食べて、なんか知ってる味だった。食べたことがあったのか、ないけど懐かしく感じる味なのか定かではないけれど、しばらく食べていたらクセになる味でした。

命日。

この年になれば普通のことかもしれないけれど、4人いた祖父母はもう誰もいない。生まれた時に全員揃っている上に父方の曽祖父母までいたというのは十分ラッキーなことだったと思うけれど、祖父母の家に遊びに行くのが好きだった私にとって、もう誰もいないというのは淋しいだけではなくつまらないことだ。

父方の祖母が亡くなったのは私が小2の時、祖母は57歳だった。お葬式は自宅で行い、まだ土葬だった。亡くなったのは1月だったので告別式当日、出棺を待つ間とても寒くて、気を紛らわすためにすぐ近くにあった伽羅木の葉っぱで手裏剣を作っていたことを覚えている。

祖母のことが大好きだった私は、亡くなってから何かの折に「毎日おばあちゃんのことを思い出すからね」と手紙を書いた。兄にはそんなこと出来るわけがないと言われたけれど、かなり大きくなるまで本当に毎日思い出していた。

その12年後の3月に父方の曾祖母が亡くなった。お葬式の日に99歳の曽祖父が泣いていたのが印象的だった。その曽祖父は、翌年の2月に100歳の誕生日を迎えてすぐ大往生。

そして13年後、今から9年前の7月。母方の祖母が94歳で亡くなった。亡くなる前日、危篤の知らせを受けて病院へかけつけた。別の階に入院していた祖父が車椅子でベッドのそばにきた時、祖母の手が祖父を探すように動き、祖父がその手を握っているのを見て、不謹慎かもしれないけれど初めて「結婚っていいものだな」と思った。

お葬式の時は、所在なげに座っている祖父の気持ちを思うと泣けてきたけれど、自分自身の悲しみとしてはさほど感じることが出来ず、むしろ晩年の祖母に対して優しくできなかった晩年のことを思って罪悪感ばかりが募っていた。

その翌年、どんなに身体が不自由になっても前向きに生きていた記憶力抜群の母方の祖父が、祖母を喪ってどんどん生きる気力をなくし、10月に98歳で亡くなった。最後の頃は身体中が痛いようで、ほとんど眠っていたけれど痛い痛いと悲鳴をあげていたので、楽になれて良かったなとホッとした。毎日とまではいかないまでも、頻繁にお見舞いに行くこともできたので自分の中でも納得できたし整理もついた。

2年続けて祖父母を失くすというのはつらいことだったけれど、これからまた少しの間は安心していられると思っていた。父方の祖父が一人で暮らしていることは気になっていたけれど、少し足腰は弱ってきたけれど農作業も続けているし、まだ10年単位で大丈夫だと思っていた。

そして年が明けて3月、震災が起きた。その場で祖父に電話をした。だいぶ時間が経ってからようやくつながった祖父は運転中で地震には気が付かなかったと言っていた。祖父らしいなと笑ってしまった。翌週、家に祖父の様子を見に行ったけれど、いつも通りの祖父だったので安心した。その後の余震で私の方が精神的に参っていたこと、ちょうど田植えの準備の時期で手伝うのが嫌だったことなどがあり、父は何度も行っていたけれど私はそれきり行かなかった。ゴールデンウィークには行くことが決まっていたからすぐまた会えると思っていたというのもある。

だけど、その前に祖父は事故で亡くなってしまった

今なら分かる。本当は祖父がすっかり年を取ってしまったことに目を向けたくなかったんだ。いつだったか、仕事関係の人が家に来てみんなでお酒を飲んでいた時に祖父がトイレに立ったのだけど、その足取りの危うさとそれを見た父が祖父のズボンのベルト通しに指を引っ掛けて、祖父が倒れないようにトイレまで連れて行った姿が頭から離れなかった。そんな姿を見たくなかった。だからこそ行くべきだったのに、行かなかった。そして心の準備も何もないまま、いきなり絶たれた。

祖父が生きていたら93歳。事故がなくてもまだ生きていたかどうか分からないけれど。もう心の中ではすっかり受け止めているけれど。今でも不意にトラクターを見たりウグイスの鳴き声を聞くと涙が出る。

そんな祖父の命日である今日。今年はまだウグイスの声を聞いていない。