「何回ピアノを諦めたらいいんだよ!」
これが、私の嘘偽りない気持ちなんだと思い知った週末。
今の家に住んで2年ちょっと。きちんと内見をして、きちんと比べて決めたはずなのに、なぜこの場所に住んでいるんだろうかと思ったことは数知れず。家の中には文句は一つもない。それでもこの地にいる理由が一つも見つからない。
そんな中、少しでも気晴らしになればと再び働き始めたことに後悔はない。横浜に暮らしながらも横浜で働くという選択肢はなかった。東京の西側で働いていればこんなにしんどい思いをしないで済んだだろうし、引越しも願望ではなく必要かどうかで考えれば、必要なかったはず。もちろん将来的には東京の東側に移りたいと思っているけれど、こんなにも早く切羽詰まった状況になることもなかった。
朝5時半に起きて、夜も23時前に寝ることなど出来ず、週が明けると曜日を追うごとに自分の身体がへたっていくのを痛感。家で食事もできないし運動する暇もないから体力も落ちていく。睡眠が足りてないから毎日自分がイライラしているのが分かるし、それを解消するためだけの週末にすぎないことがもったいない。父の仕事を手伝う余裕もないし、実家に帰省する体力もない。
そんなこんなで、やはり引っ越したいと思ったのは年が明けた頃だったか。引越しをするに当たり、私のいつも手順はまずはネットで検索をし、当たりをつけてから不動産屋さんへ行き、そこで紹介されたものをいくつか内見して確定するというもの。これまで猫だけでも物件さがしのハードルが高かったけれど、それでもたいていは1、2日も費やせば多少の妥協は必要だったけれど部屋は見つかった。それなのに、そこへピアノが加わった途端に、そもそも物件がない。もうはなから負け戦だと分かっているようなものだったけれど、それでも果敢に挑んでみたわけだけど・・・連戦連敗でどんどんと気力が落ちていく。
体力はまだ残ってる、気力もまだなんとか。そんな状態で探しているのに、こちらが不利な条件を持っていることを知った途端に、敷金ではなく礼金を2ヶ月も要求されて、それまで何度も断られて落ちかけていた気力が一気に皆無になった。こちらも妥協に妥協を重ねて選んだ物件だっただけに尚更堪えた。
物件オーナーの足元を見たような言い分に文句を言っていたら、だんだんどうでもよくなってきて考えもせず投げやりな言葉ばかりが出てきた。もうピアノ売っちゃったらいいよ。そしたらそのお金を引越し代の足しにも出来るし。どうせ仕事してる限り弾く時間も体力もないんだしさ。(ピアノを弾く時間を取れないことも通勤時間を短くしたい一因だったはずなのに。)
きちんと考えずにひたすらしゃべり続けていたら、どんどん悲しくなってきて、ついに喚いてしまったのが冒頭の言葉。自分の口から出てきたその言葉を耳で聞いた途端に、あぁ…これが私の本音だ、と気づいた。私は20年近く経ったにも関わらず、ピアノをやめたことに納得できていないんだと痛感した。あの時のことを決して許していないことも。
私がピアノをやめた理由を、深く知っている人はほとんどいない。その昔、一連のストーリーを書いた記事を読んだ知人にはフィクションだと言われた。そして今に至っては、私がピアノを弾いていたことすら知っている人は少ない。ここまで遠くに来てしまったことだし、正直もうそろそろいいんじゃないかなと思うのだけど。だけど、こうして時々かさぶたを剥がしては、何度痛みに悶絶しながら向き合ってもつらさが消えないのは、やっぱりまだあきらめていないからなのではないかと思ってしまう。