私がいつも愛読しているブログ「世界級ライフスタイルのつくり方」にこんな言葉が書かれていました。
「言葉というのはすべての感情を表せるほどうまくできていなくて」。
彼女が取り上げた話は、確かに私の身の回りにはない話で、でも世界のどこかには普通に転がっている話なんだと思う。だけど、私が持てる想像力のすべてを使っても実感することは出来ないし、私の語彙のすべてを出し切っても、その事実を説明することも感じたことを伝えることすら出来ないと思う。そして、最近の私は、誰かの境遇や心に同調することを無意識に避けてしまうので、たぶんこの話には大して揺らされていない気がする。でも、最近言葉が足りないとか言葉を忘れてしまっているとか・・そう感じることが多いせいか、妙に深く、彼女の言葉が突き刺さりました。
人の人生は、よく他人と比べられるけど、実際のところ、自分が想像できることなんて世の中のことのほんのわずかで、すべては自分の体験を元にしてしか考えることは出来ないのかもしれない。共感や同情はすることが出来ても、本当のところで理解することは不可能に近い。それでも分かり合うことや、相手の立場や気持ちになって考えるということは忘れたくないし諦めたくない。そんなことを思っていたことを、思い出しました。
そして、最近の自分は、どうにも薄っぺらだと思うことが多くて、その事実からも目を背けたかったりしてるんだけど。心のドアを瞬間的に閉じてしまうことが上手になってるような気もするんだけど。たとえ、どう頑張っても結局のところ想像することしかできなくても。言葉をかけることが出来なかったとしても、そばにいることは出来たんじゃないか、とか。そもそも、こうやって過去形にしてることすら間違ってるんじゃないか、とか。言葉にして表すことが出来ないからと言って、それは、その思いを伝えることが出来ないとはイコールではなく。思っている、ということを伝える努力をすることだけでもすべきだし、たとえそれが伝わらなかったとしてもそんなのは重要じゃなくて。
ダメだ・・・何言ってるのかさっぱり分からなくなってきた。今、この瞬間の自分は、これまでそうやって閉じてしまった数々のことがよみがえってきてなんだかグルグルしてるのです。心が痛い、ものすごく痛い。
読んだまま勢いで書き始めちゃったけど・・・アナタが綴ったことや話したことが、アナタの心のすべてを表せているわけではないということを分かっているつもりだったけど、改めて深く考えました。きっと、私はアナタの本当の気持ちを分かることはできないと思う。たとえ同じ経験をしても、それは似た感情でしかないのかもしれない。そして、全然近くにもいないし、ずいぶん薄情で頼りない友達だと思う。だけど、私はいつでもアナタのことを思っているよ、ということを、きっかけは何にしてもこんな時ぐらいは、ちゃんと言葉にして伝えておこうと思う。
ごめんね。(いつものように敢えて名前は出さないけど、途中からは私信です。)