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カテゴリー: monologue

ピーマン現象。

10年以上も前の話ですが某東欧の国に行った時に、ピーマンの形(日本との)違いに驚いたことがあります。日本では正方形に近い比率だったのが向こうでは縦長でした。やっぱり外国は違うんだなぁと感心しつつ、毎日のように食べていたのですが、半年ぐらい後に日本に戻ってきたら、縦長のピーマンしか売っていない!ピーマンの形が違うのは外国だったからではなく世界的に変化したタイミングで外国に出ただけだったのか?今でも謎です。

帰国後すぐ北海道へ講習会に行った時に、レストランの店員さんが「~でよろしかったでしょうか」と確認するのを聞いて、「あぁ、北海道では過去形で確認するのか」と驚いたのに、その後地元でお店に行ったらみんな使ってるし!

そういう、遠くへ行った時に地元との違いを発見したと思ったら、戻ってみたら地元でも同じ変化が起こってる!という不思議な出来事を我が家では「ピーマン現象」と呼ぶことにしました。

地元ではない場所で暮らして1年。ここで仕事をするようになった3年ぐらい前の夏に気が付いた、地元とは違うもの。それはセミの鳴き声。地元では聞いたことのない「シュワシュワシュワシュワ」と聞こえる鳴き声が気になって仕方ない。しかも夕方には聞こえないのです。ネットで調べようと思いつつ、セミの画像や動画を見たくなくて先延ばしにしてきましたが、先日意を決して検索してみました。そして、どうやら「クマゼミ」という種類のセミらしいということが分かりました。南方系のセミで棲息数は西日本地域に多いらしいです。このセミなのかどうか分からないけど、これまた地元との違いでガマンならないことが一つ。それはこの辺りのセミは地面でひっくり返って休憩する、ということ。私の乏しい虫関連の知識ではセミがひっくり返っていたらそれは死骸であるはずなのに!よりによって我が家のベランダで、とか。マンションの廊下で、とか。歩道の真ん中で、とかとかとか。そんなところで死なないでよ・・・と思ってつついてみると鳴きながら大暴れをして飛んでいくのですよ。そしてヤツらは木から木へ移るときに、地面を歩くんですよ、羽があるくせに。本当にねぇ・・・近頃はこれがストレス極まりないのです。夜、家に帰ってくる途中で地面を歩いているセミを見た時には、もうこの夏は一歩も外に出ない!と決意したくなるほどでした。

これって、クマゼミだからなの?この地域だからなの?それともピーマン現象で東京に戻ったらやっぱり地面にセミがいるの?シュワシュワ鳴いてるの?気になって仕方ありません(涙。

金縛り(´・_・`)

今朝、二度寝をしていたら廊下に人の気配を感じて目が覚めた後、金縛りに遭ったけど「これは夢だ、脳が起きてるけど身体が寝てるだけ」と念じつつも目を開ける勇気はなく(笑)、足は動くけど上半身が動かないので無理やり覚醒しようと力を入れてみたけど動かなくてて腕を押さえつけられる感覚があったので「うぁーーーっ!!」って叫んでみたら身体が軽くなって普通に動けるようになりました。実は人生二度目の金縛りで二度とも自力で脱出したので確かに睡眠麻痺ってやつなんだなと思ってるけど、恐怖心は拭えなくて大きな声でリビングに寝ている猫を呼んでみました。

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ゴソゴソと起きる音がしてトコトコと廊下を歩いている音が聞こえた後、ベッドに乗ってきた猫。心臓バクバクだったけど猫を撫でている内にようやく落ち着きました。ふぅ。

あ、人の気配が寝室に入ってきたと感じた時にうっすら目を開けたら人の腕が見えたのはナイショです。これは夢ですから。

楽しいよ♪

今朝見た夢の話。結婚しようとしない某友人に「結婚楽しいよ、してみたらいいよ♪」とテンション高めにお勧めしてました。現実にはその友人は結婚してるし、何年か前、お互いに独身だった時に「私、結婚なんてしないし」って言ったことあるし。夢っておもしろい。目が覚めて思わずフフッ(*´∀`*)ってなってしまったぐらい、二人で暮らしていることが本当に楽しくて嬉しくて気分が高揚している感覚が残っていました。なんかいい夢だったなぁ。

兄妹仲。

とあるブログを読んで、本題とは逸れるところで妙に心に残ったこと。ある社会問題に関して論じていたのですが、そのブログを書いている人(女性)にはお兄さんがいて、小さい頃にお母さんが買ってきてくれた赤と緑など色違いのお菓子の取り合いのエピソードが書かれていました。どちらも緑を欲しがったらお兄さんがお前は女だから赤に決まっていると言ったこと、譲らないと武力行使になったこと。どちらも私にとっては衝撃的な話です。

私には二歳上の兄がいます。そして私は小さな頃、赤より青が好きでした。兄と色違いのものを買ってもらったことは多々あったと思うのですが兄と奪い合いのケンカをしたことなどなかったような気がします。いつも兄がガマンしていたんだと思うけれど、稀に兄としても譲れないような時でも殴られたことなど皆無だったので、「兄が妹を殴るってナニ!?しかもお菓子ごときで!」と思ってしまいました。

まぁ、そもそも私には兄とケンカをした記憶がないのです。今の兄妹仲からは考えられないけれど、兄がどう思っていたかは知りませんが私は兄が大好きだったし、いつもくっついて歩いていました。小・中と同じ学校だったけれど学校ですれ違うと満面の笑みで手を振ってしまうような妹でした。それでも小さな言い合いぐらいはあったのかもしれないけど、たぶん兄が大幅に折れてくれていたから私の記憶にはケンカとして残っていないんだろうなぁ。大人になってからは兄の言っていることがまったく分からなくなったし、理想論ばっかり言いやがって!と腹を立てることも多くなりましたが。

何が言いたいかと言うと、兄が妹に優しいのは世間的にはデフォルトではないのですね、ということです。

疲弊。

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自分の感情の起伏に疲れ気味です。そういう自分だと知っているから、なるべく振れ幅を少なくして生きてきたのに、二人になってから感情がむき出しになっているみたいで些細なことでも嬉しかったり悲しかったりが暴走してしまうのです。

昨日驚いたこと。

「女性は自分の分からない話を聞かされるの嫌うから」という男性陣の共通認識。だから仕事や趣味のマニアックな話をしてもつまらない思いをさせてしまうということなんですが、「むしろそういう話をして欲しいし、してくれたら嬉しいのに」と反論したら「mayumitchちゃん稀少種だから」と言われてしまいました。むぅ(´・_・`)

言い換えるのって難しい。

たとえ話や仮定の話は、極端な結論に結びつきやすい気がする。条件でも相手でもトピックでも何にしても前提が変われば同じ論理で話は進まないし必ずしも同じ結論は出てこないと思う。その時々の環境・状況やしゃべり手の些細なイントネーション、果てにはお互いの気分ですら結論は変わってくる原因になり得るのだから、たとえ話や仮定の話で相手や自分を納得させられるとは限らない。もし納得できたとしても、違和感を拭えないこともある。

とある海外ドラマのストーリー中で、確かに身近な問題に置き換えればそういう話なんだろうし、あなたの言ってることは正しいんだけど、でもやっぱり違うよね?と思うエピソードがあったので。

喧嘩した。

夢の中でだけど。

大学の恩師に対しては色々と思うところがあり。私がその道から外れたきっかけは次々と事件が重なったからだけど、もしもあの時、恩師が直弟子である私の言うことを信じてくれていたら、きっと違う結果になっていただろうなと思っているので。やめたこと以上にきっとそこがずっと引っかかっていたんだろうと思う。それが今さら夢になって出てくるとか、どんだけ根に持ってるんだって話だよね(笑。

レッスンをボイコットして、卒業試験もボイコットして、卒業できないことになったけど退学してやる!二度と学校になんて来るもんか!と恩師に喰ってかかってました。夢の中で。4年間通った挙げ句に卒業できなかったことに対して、両親ともに何も言わずに納得してくれてました。夢の中で。現実にはちゃんと卒業した2年も後の出来事だったんだけど、まぁそこは夢ですから。

どちらかと言うと、誰に対しても言いたいことをハッキリ言う方・・・だと思うんだけど、その私が唯一思ってることの1/10も言えない相手がその恩師で、ひたすら「はい、はい。」しか言えなくて。どうにか改善したいとか、心の持ちようだけでも変えてみようとか、そんなことすら考えられないほどに絶対的な主従関係だったわけで。もちろん専門的なことから外れれば納得できないことは山ほどあったけれど、それもすべて飲み込むしか選択肢がなかったのよね。もちろん16歳~22歳(最終的には24歳)という多感なお年頃だったので、「ま~るく納める」なんてことは出来なかったし、電話をかけようと思うだけで胃が痛くなるような条件反射的なものもあり。

今でも時々は意図的にだったり億劫がったりして不戦敗をすることがあるけど、それでも今の私の経験値と(あの頃と比較しての)図太さを持って恩師と向かい合えてたら、もっといい関係が築けてたんだろうな。たぶんそうだとしても今ここにいて違う仕事をしていることに変わりはないと思うけど、一度でいいから夢の中のように恩師とぶつかっていたら、心残りとか後悔とかをいつまでも引きずっていることはなかったような気がするんだよね。22年間向き合ってきたことが全て無駄になってしまった、無駄にせざるを得なかった時のあの気分は今思い返しても胸が痛くなります。

きっと、あの頃の自分が恩師に言いたかったことなんだろうなぁ、夢の中のあのセリフ。

遠い記憶。

最近、実家近所の小学校(私の母校ではなく)の児童が帰宅する時間によく居合わせるんだけど、全員黄色い帽子をかぶっているのを見て、よく素直にかぶるなぁと感心しつつ自分が小学校低学年の時には安全ピンで留める交通安全の黄色いワッペンを付けなくてはいけない決まりがあったのに私は全然付けて行かず、毎週のように先生に注意をされたことを思い出しました。

別に反抗していたわけではなく(優等生だったし)忘れていたわけでもなく(だって名札は忘れなかったし)、ただ必要性を感じられなかっただけなのですが…

昔から自分ルール作ってたのね(´∀`; )

思ったことは伝えないと。

先日、出張で名古屋に行った時、祖父の妹の家に遊びに行きました。ほんの少ししかいられなかったのですが、帰り際、その大叔母が祖父が私に世話になるんだと言って私と一緒に住みたがっていたと教えてくれました。5人の孫の中で一番可愛いとも言っていたそうです。私に、一昨年の年末ぐらいから、祖父と暮らそうかなと思い始めてたんだよね。いろんな状況を考慮すると、どう考えても現実的じゃないことは分かりつつも心情的にそうしたいと思っていたし、震災後にはその気持ちが強くなってたのにな。もっと早く言ってくれてたら。

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10年前、友達の結婚披露宴に行った時、久しぶりに会った大学の同級生に言われました。I先生(恩師)はmayumitchに自分の後を継いで欲しいのよってよく言ってたよねって。私は在学中、目をかけてもらってることは自覚してたけど、それは私が結果を出した時に限られてたし、普段はけなされてばかりで、今思い返せば、もしI先生が生徒に自信を持たせるような肯定的な教え方をする人だったらもうちょっと何か違っていたんじゃないのかなと思うような、そんな接し方をされてばかりだったし、まさか後継者にしようと思われてるなんて露ほどにも思わなかったよ。実際には私は指導者の道を選ぶつもりはなかったので、それはそれで一悶着あったかもしれないけど、どんな道を選んだにしろ、たとえ今と同じようにその道を諦めざるを得ない状況になっていたとしても、やっぱり思うわけです。もっと早く言ってくれてたら。

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誰かに対する高評価は、当事者が口にするより他者からの伝聞の方が効果があるなんて言うけど、やっぱり、誰かに対して抱いている希望や思いは、他の誰かにではなく当の本人に伝えないと。手遅れになる前に。