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カテゴリー: monologue

心のスパムフィルター。

「外部からもたらされる意味のないノイズにはフィルターをかけてしまえばいい。」

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この3日ぐらい、ちょっとだけ凹んでました。いや、別に凹んでたんじゃないか。不愉快な思いをしていた、の方が正しいかな。そして、自分の、今まで公言したことのない弱点に焦点を当ててしまっていた。おかげで、何をしててもイライライライラ。そんな中、今朝読んだブログのおかげで、冒頭の結論に達しました。こんなことで心を煩わせるなんて、“絶対に”、“間違いなく”無意味だと分かっていながらもどうにも意識をそらすことが出来なかったんだけど(毎回繰り返してるなぁ・・・)そんな風にイメージし直せば、意外とサクッと切り替えられる気がしてきました。いつもハッとさせられることの多いブログですが、こんな風に救われたのは初めてです。ちなみに、雑念のやたら多い私ですが、それはたとえノイズであってもフィルタをかけずに消化するなり解決するなりしたいと思ってます。だけど、ホントに意味のない外から来たノイズに関しては、やっぱりシャットアウトすべきかな、と。

ポイントはそこじゃない!

先日、数名の同僚に問いかけられた。「○○さん(←私の苗字)ってそうだったの?」あれ、そこに食いつくのですか。

私はこれまでの人生の中で、見ず知らずの人に助けられることが多かった。もちろん知人や友人にも助けられてきた。その中でも印象的だったのが、たぶん当人も海外で足元がそれほど確かではない暮らしをしている中で、見ず知らずの私のために動いてくれたこと。またある人が自分の友人のために小さな手助けをしようと思ったら、とても大きな波を起こしてしまったこと。私もそこにほんの少しでも関われて嬉しかったこと。そんな風に何かの時に誰かのために動ける自分でありたいと思ったという話をみんなの前でした後。

そんな話ではなく、話の過程で私のバックグラウンドをほんの少し話したのだけれど、それについての話を振られることが多く・・・いやいや、ポイントはそこではない、と思いつつ。そのネタを話すための序章やら何やらサラッとではあるけれどあちこち話が飛んだ中で、「あー、人っていうのは話してる相手そのものに興味を持つんだなぁ・・・」と思ったのです。話した中のその向こう側ではなく、話してる人そのもののネタに食いつくんだってこと。

なんか、当たり前のようだけど、嬉しい発見。

主語がないですよー。

毎度のことながら、某女性上司の話には主語がありません。相手との間で必ず分かる話題ならそれも問題ないとは思いますが、何もかもがそうだとさすがにげんなり。しかも今はお昼前でお腹空いてるから、若干イラッときてしまいました。

友達じゃないんだからさー。仕事なんだからさー。と思いながらも、「何がですか?」とやさしく訊き返してあげましたよ。

26歳の私。

26歳の頃のブログを読んで思ったこと。なんかさー、若かったよね。一生懸命だったよね。ときどき意味不明なこと書いてるし(笑。

最近、あんまり傷つかなくなったなーって、ふと思いました。いいことなのかどうか分からないけど。まぁ、でも楽にはなったかな。

子供の頃は早く大人になりたいと思ったり、大人になんかなりたくないって思ってみたりしてたけど。子供の目線で大人を見て、こんなズルイ人間にはなりたくない、とか、自分をごまかしてしまえる大人になんてならないって強く思っていたような気がするけど、26歳を大人というのか子供というのかはともかくとして(今も大人になったのかどうかはさておき)あの頃、こんなこと思っていたっていうのは覚えているけど、その感情に同調できなくなっている私は、子供の気持ちなんてもっと分からなくなってるんだろうなぁ。

月曜から飲みって普通じゃないの?

昨日、業務終了後(と言っても定時前)に化粧直しをしていたら、同僚の女の子に「今日はお出かけですか?」と聞かれました。なので、素直に「うん、飲みに行くんだー」と答えたところ(この時点ではまだ飲みのつもりだったから)「月曜からですか!?!?」と驚かれてしまいました。いや、普通でしょ。だって、月曜から飲んでちゃもたないような仕事でもないし。(前回はもたないような仕事だったけど飲みに行ってましたが)

まぁ、この会社、飲み会もほぼ皆無だし、そんな反応も当然なのかなーと思いつつ、推定年齢22歳(新卒)の女の子がそんなこと言ってることの方が気になったりして。

ちなみに、昨日は結局お茶ではなくHUB飲みになりました。でも、ちゃんと1杯で帰ってきましたよ。21時過ぎには家に帰ってたし。やれば出来るじゃん、自分。(それって要はつまんなかったってことでしょ、とか言うツッコミはなしです。)

いや、実は昨日は「日本語教えるから英語教えて」の飲みだったんですけど、相手が日本語ペラペラで。なんか、敬語を使いこなしてるガイジンを見ると・・・どーーーしても元同僚を思い出しちゃってねぇ。あんな潔癖症じゃないし、偏屈じゃないんだけど、どうにもダメでした。英語しゃべっててくれればいいんだけど。(なんてワガママな。)

って、私、そういえばその元同僚が英語しゃべってるの聞いたことないかも。

人間なんて矛盾だらけだ。

Def Techの曲の中に「自分の矛盾を肯定する大人にだけはなりたくない」って歌詞があってそれを聞くたびに思ってました。人間なんて矛盾だらけの生き物で、そんな自分の不整合な部分も自分で認められて自分の中で折り合いをつけられるようになりたいなーって。それを大人と呼ぶのか、そんな大人はズルかったり汚かったりするのか。大人になってしまった私には分からないけど。10年前の私だったらどう思ったかな。

CMのお話。

音遊人を見てたんです。なんでピアニストには王子が多いのかなーとか彼の演奏は心に響かないなーとか思いながら。番組が終わった後YAMAHAのCMが流れたんです。二人のトランペッターが海岸で演奏しながらすれ違う、ただそれだけなんだけど二人の演奏が重なった瞬間ゾクッとした。

そんな心が震える瞬間が好き。

お兄ちゃん、助けてよ。

先週土曜日、めずらしくTVドラマを見ていたら
まさにそこツボだからっていうシーンが出てきてマイッタ。

ホントはたくさんたくさん頼りたいこと、話したいことがあるのに
すべて飲み込んでいるから。頼っちゃいけないと思ってるから。

でも、やっぱり心のどこかで思ってるんだろうな。

「お兄ちゃん、助けてよ」
「お兄ちゃん、ずるいよ」

やばい、もう5時だ・・・

1時過ぎに帰ってきて、片付けながら2時ごろお風呂入って、そのまま引越しの準備をしているんだけども。もう5時じゃん。うぁぁぁ。。。もうっ!いつの間にこんなにモノが増えたんだ?つーか、一番ビビったのが、スタバタンブラーの数。集めすぎです、自分。とか言いつつ、今日(昨日)もゴールドのを買っちゃたんですが。

・・・と、ネットも片付けてしまったので、emobileで更新中。

なんでもかんでもオンライン。

ワタクシ、何しろphonephobiaなもので、できるだけ電話は避ける傾向にあります。かけるのもかかってくるのも苦手。電話で話す時は妙に愛想悪いのもそのせいです。着歴が残ってても基本かけ直しません。仕事のコールバックメモも出来ることなら見なかったことにしたい。もちろん実際にはしませんよ。うちの会社にはホントにしない人、目の前にいるのに居留守を使う人が多々いるのでそんな当然なことでもかなり大人な気分。電話くれって言ってんのにメールで返す人とかね。インターネット大好きな会社なのでそれはそれで普通なのかもしれませんが。まぁでもお客さんはネットどころかメールも苦手な人だったりするのでそれでもめげずに電話してくるんですが。

いつだったか前の会社の人と話してて笑ったことがあります。最近の新入社員は会議で意見を求めても「特にありません」って言うくせに、会議が終わった後にチャットで「さっきの件ですけど」って話しかけてくるって。それがみんなの前では言えないような幼稚な意見ではなくけっこう秀逸な意見だったりするそうです。意見じゃなく文句も同様ならしく。なんだかなぁ…って話したのを覚えてます。

今の社内では当然分かるよね?なコミュニケーションでは通用しません。確実に伝えなくてはいけないこと、あとで見直す必要があることはメールにしますが私はフロアが違う人にも会いに行って面と向かって話します。これって意外と大事だなぁって最近つくづく思う。

プライベートでもどんなにメールや電話で時間を割いてもらって悩みを聞いてもらってももちろん嬉しいし救われてるんだけど、やっぱり会ってる時の安心感には叶わない。それは昨年、一昨年と痛感した。

なんか言葉ってすごく素敵だし力を持っているけれど、文字にするって…それをオンラインに載せるって何かが抜け落ちるし、軽くなる気がする。決してそれを発した人の気持ちが軽いのではなくでも何かが違う気がして仕方がない。

とか言いつつ。

やっぱり、面と向かってしゃべったのならさらっと軽く伝えられることも、文字にすることで重くなるっていうこともあるわけで。あぁぁぁぁ、重いなぁ・・・と自己嫌悪に陥ったりもして。でも。想いは伝えないと。何も自分だけで抱えてる必要はないんじゃないかと。別の人に聞いてもらったって仕方ないんじゃないかと。そんな風にも思ったりするわけです。だからって楽になるわけじゃないんだけど。何も変わらないんだけど。でも、やっぱり会って伝えたいよね、ホントは。