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カテゴリー: web

顔出しNGの件。

ブログを書き始めて15年ほど経ちますが、色んな知り合いやまったく知らない人のブログを読んできて、自分や他人のブログやSNSに顔を出すかどうかというのは何度となく考察を繰り返しては、『私は顔写真はオンラインには載せない』という結論に毎回至っています。

ブログを書き始めた当初は今よりもっと自分の素性を隠すことに注意を払っていました。ブログの存在すら知り合いには教えず、同じサイト(当時はレンタル日記などと呼ばれており、私はライコスダイアリーを使っていました)を使っている見知らぬ人の日記を読むことはあれどコメントするようになったのはだいぶ後になってから、しかもよっぽど共感した時しかしませんでした。自分のブログにつくコメントもない方が好ましかった。ひたすら自分の感情を吐き出す場所だったので、誰かの反応は気が散るというか鬱陶しいとさえ思っていました。

もともと高校生の頃からすでにカメラ小僧だったので、何かと写真を撮るということに周りは特に疑問を持つこともなかったように思います。TwitterやFacebookというサービスが始まり、みんなが写真を撮る→どこかにアップするという意識を持ち始めた時はちょっとドキドキしたけど、その頃にはリアルな知り合いにもブログを書いていることを公表し、実際にURLを教えることも増えてきました。SNSでは、ようやくコメントし合うことの面白さも感じるようになり、このブログは親兄弟・親戚には見られたくはないけれど(どうしようもない過去記事はだいぶ消しましたが)、親しい友人知人であれば見られても問題はないはずです。とは言え、見知らぬ誰かにブログから私自身が特定されるのはあまりいい気分ではないし、その可能性があることを自分自身の(逆の立場での)経験から知っているので、やっぱり顔写真はオンラインには載せたくないという気持ちが強いのです。

ブロガー仲間はたぶん一緒にいる相手が顔写真を載せて欲しくないかもしれないという可能性にとても気を遣ってくれるのだけど、SNSしか使っていない場合、知り合いしか見ていないという気安さからなのか、本人に確認することなく載せてしまうことが多いように思います。以前も、とあるパーティの後、そのイベントのFacebookページに大量の写真がアップされ、何枚も自分の写真が載っているのを見つけ、主催者に私の写真は取り下げてくれるようメッセージを送ったことがありました。

最近はあまりそういう場に顔を出さないので(というか、家族以外と集うことがほとんどないので)そういうことを考える機会から遠のいていましたが、先日の飲み会の写真がFacebookに載っていることに気がつき、ちょっと困ってしまったので、改めて公言しておこうとこんな堅苦しいことを書いてみた次第です。

そして、私だけに限らず、SNSやブログ等に顔写真を載せて欲しくないと思っている人が他にもたくさんいるということ、そもそも写真を撮られたくないかもしれない人がいることも、気に留めて欲しいと思うのです。場の雰囲気を壊したくないとその場では言い出せない人もいると思います。全ての携帯端末にカメラが付いていて、SNSを利用している人が増え、リアルな知り合いがオンラインでも繋がっているご時世だからこそ、みんなが楽しく気分良く使いこなしていけたらいいなと思うのです。

コメント欄。

コメントを書く時のメールアドレス入力必須をやめてみました。承認するまで表示されないのはそのままだけど、なんか送信した後の何もなかったかのようなそっけなさが感じ悪いのでどうにかしたい。。。

アクセス解析。

ここ1ヶ月ぐらい、Google Analyticsでやたらロシアからのアクセスがあるのに、Jetpackだと日本からしかアクセスがなく、今いち見方も分かっていないので、昔懐かしの忍者ツールズで生ログを見てみようと久しぶりに設置してみたら、一切の足跡がなかった。ますます分からなくなったので、どうでもいいかと思い始めたw Akismetを見てもスパムコメントはほぼないし。忍者アクセス解析はモバイルで見ると広告が入るのが嫌なので、とりあえず1週間ぐらい様子を見てから外そうと思います。

Back to メール。

Twitterを始めたのが2007年5月、Facebookを始めたのが2007年7月。どちらも最初は面白さが分からなくて、友達が使い始めてつながるようになってようやく楽しくなってきました。日常の中で心の中に溜めがちなことをその場で吐き出してスッキリしちゃうという効能もあって、あんまりゴチャゴチャ悩まずに済むようになりました。ただ、ブログのように過去ログを検索できないのは思った以上に不便で、やっぱりブログは捨てられないなというのが正直なところ。と思いつつFacebookに吐き出しちゃうとブログに書くほどでもなくなってしまい、なんだかなぁと思いながら気づいてみればもう6年も経っていました。

そんな葛藤を抱えつつ、全然関係のないところでふと24時間ソーシャル断ちをしてみようと思い立ちました。というか内省化する日にしてみたのです。音楽を聞きつつ、仕事をしつつ、車を運転しつつ、買い物をしつつ、アイスを食べつつ、TVを見つつ、筋トレしつつ。仕事のメールとWebでの調べ物以外でオンラインにはならずに過ごしてみたんだけど。思い切ってiPhoneからFacebook(/messenger)もTwitterもInstagramもいったん全部アンインストールして。

1日一人で過ごして、何かあるたび、何かを思うたびにFacebookに書き込もうと頭の中で文章を組み立て始める。iPhoneを手に取る。あれ?なんかこの感覚知ってる。前にもあったよ、こういうこと。まだi-modeメールが始まったばかりの頃、毎日のようにメールをしていたイギリス人の友達が帰国した直後、何か面白いことがあるたびに、伝えたいことがあるたびに頭の中で勝手に英語に変換し始める。そして、あぁ、もういないんじゃん。i-mode使ってないんじゃん。時差があるんじゃん。そう思って携帯をしまう。あの時と一緒だ。

そんなことに気がついて、なんとなく思ったんです。これってFacebookに書き込むんじゃなくて、本当に伝えたい相手に、メールなりメッセージなり、電話なり会ったりして伝えることなんじゃないかって。もちろんTwitterやFacebookに書き込んだことで誰かが反応して実際に会って楽しさ倍増!ってことも多々あるし、どっちがどうってことでもないんだけど、なんだろ、メールをする代わりにFacebookに書き込んでる場合っていうのが確かにあって、それってなんかおかしいような気がするなと。

まぁ、あくまでも私の場合なんだけどね。ちょっとSNSにハマりすぎてるなという自戒を込めてるだけなんだけどね。とりあえずしばらくは、せめてiPhoneにはアプリを入れないでおこうと思ったのでした。

懐かしいなぁ。

すっごい昔から書いているブログを読み返してみたら、「10年前の情熱を、今も持ち続けていますか?」という一言が書かれていてそのフレーズでググってみたら、↓のバトンがたくさんヒットしました。そういえば、流行ったよね、こういうの。

Q1.10年前に愛していた人を、今でも一番愛していますか?
Q2.10年前に頑張っていた仕事を、今も続けていますか?
Q3.10年前いつも一緒だった友達は、今も一番の親友ですか?
Q4.10年前泣いた映画で、今でも泣けますか?
Q5.10年前楽しみだった誕生日は、今も楽しいものですか?
Q6.10年前星を数えた夜空を、時には見上げていますか?
Q7.10年前にしていた恋のように、今もときめくことはありますか?
Q8.10年前になりたかった自分に、今なっていますか?
Q9.10年前に探していた自分の居場所は、みつけられましたか?
Q10.10年前の正義感や情熱を、今も持ち続けていますか?
Q11.この10年間、精一杯生きましたか?
Q12.10年前の自分に会ったら何と語りかけますか?

10年前って1999年ですが、なんだかエアポケットに入ってしまっているようで、記憶からすっぽり抜けてます。で、思わず自分のレジュメ見直しちゃったよ。でも1999年って何もない。そして、思い出しました。あぁ、何もしてないや。誰にも恋をしてなかったし、働いてもいなかった。そういえば、ウィーン行って大泣きしたのはこの年だったなぁ。たぶん10年前の自分が今の自分を見たら、がっかりするだろうな。怒るかもしれないな。それでも10年間は精一杯だったし、誕生日は今でも楽しみです。