昼間、サイクリングの途中で寄ったカフェで、夜はジャズライブをやるみたいだったので家に帰って自転車を置いてから出直しました。紅玉のシードル美味しい。
日本酒も青森の地酒がいろいろありましたわ豊盃、八仙、杉玉など飲みました。八仙は前に飲んだ時にあまり印象が良くなかったんだけど、今回はとても美味しかったです。
料理も美味しかったし、ライブも楽しかったし、お店の人たちもフレンドリーで良かった。また行きたい( ´ ▽ ` )ノ
昼間、サイクリングの途中で寄ったカフェで、夜はジャズライブをやるみたいだったので家に帰って自転車を置いてから出直しました。紅玉のシードル美味しい。
日本酒も青森の地酒がいろいろありましたわ豊盃、八仙、杉玉など飲みました。八仙は前に飲んだ時にあまり印象が良くなかったんだけど、今回はとても美味しかったです。
料理も美味しかったし、ライブも楽しかったし、お店の人たちもフレンドリーで良かった。また行きたい( ´ ▽ ` )ノ
真夜中、久しぶりに泣く夢を見た。大学院受験の教室で、審査員たちのあまりの白け具合に、あぁ落ちたな・・・と思った後、場所も時も変わって、たぶん今の年齢になっていたのだと思うけれど、母に「私がピアノをやめなくちゃいけなかったのは、ただ才能がなかったからだね」と泣きながら自分で認め、母の悲しそうな顔を見たところで目が覚めたら、現実にも泣いていた。目が覚めてからも、そうだよなぁ・・・あんな程度の演奏しか出来ないんだもん、続けてても仕方なかったよなと思って、さらに泣けてきたので、温かい飲み物でも飲んで落ち着こうと起きて、一口飲んで我に返った。これは本当の記憶じゃない、ただの夢だ。
実際の記憶はこっち。もちろん確かに「あぁ落ちたな・・・」と思った試験もあったけど。でも、それはもうやめると決意をした後のことだし、練習もせずレッスンも受けず、やる気ゼロで向かったので当然の結果。
大学の恩師の母国へ留学し、初日から40度近い熱を出したことも、練習用のピアノが見つからないことも、師事するはずだった教授が不在の間、同い年のアシスタントからレッスンを受けることも耐えたのに。戻ってきた教授とのレッスンは楽しかったけど、冬季は3ヶ月ほど学校が閉まると聞いて、この国にはこれ以上いても無駄だと帰国することに決めた。
次に行く先を求めてウィーンで先生探しをした時には、大学の(見ず知らずの)先輩を頼って面識のない先生のレッスン室のドアを叩いてピアノを聞いてもらい、君は日本人にしては感情のこもった演奏をするねと気に入ってくれた教授の自宅レッスンを受けたのだけど、レッスンを終えた後のお茶の時間に教授が笑顔で私のピアノについてコメントをしてくれていたのに、それを訳してくれた教授の妻(日本人)曰く、あなたには才能がない。曲に感情がまったくなく聴いていても心に何も響かない、はっきり言って音楽を演奏する資格がないと思うとのこと。もうピアノはやめます、これ以上続ける気力がありません、と泣きながら(前述とは別の)恩師に伝えて日本に帰国。現地でピアノを貸してくれた日本人調律師にお礼と報告の電話をかけると、いくらなんでもそんな言い方をするわけがない、そう思っているならそもそもレッスンなんてしなくてもよいわけで、彼らはドライだから受からないと思う人には気を持たせるようなことはせずきちんと伝え、受験目的のレッスンはしないはずと言われた。数日経って改めて電話をかけてきてくれたところによると、その教授の妻は自分が生徒の時に略奪婚をしている(しかも自分で3人目)ので、日本から生徒が来るとそのような嫌がらせをするとのこと。そんなところへ師事する気にはならないので願書は取り寄せたものの、出願はしなかった。
最後のチャンスとなったアメリカでは、私の母校で教えていた外国人客員教授から、紹介はできないけれど自分の名前を出せばピアノを聞いてくれるぐらいのことはしてくれるだろうと自分の生徒の元恩師の名前を挙げてもらい、その先生のいる大学の事務局からメールアドレスを教えてもらい、ぜひピアノを聞いてほしいというメールを送ったら、1月はこの1週間しか自宅にはいないので、そこに合わせて来られるのであればレッスンしましょうとのこと。また恩師の遠い親戚がたまたまその大学にいるので紹介してもらった。もし今回レッスンを受ける先生が気に入ればいいけど、もし合わないと思えば別の先生を紹介してあげると言われ、心強い味方を得た気がした。実際に、その先生のレッスンを受けて、ぜひ生徒になって欲しいと言われたし、先生自身もとても素晴らしい演奏をする方だったのだけど、ブラジル出身でラテン系のレパートリーが多く、その先生が演奏するととてもかっこ良いのだけど、ドイツ系の作品に合う私の音では弾きこなせる自信がなく、とりあえず別のアメリカ人の先生も紹介してもらうことにした。そして、そちらの先生にも気に入られ、入試までの間、レッスンをするからずっと滞在していなさい、そして新学期が始まる9月はちょっと演奏ツアーに出るから、ビザ取得のために一時帰国する必要があるだろうけど、新学期前にレッスンしたいからまたすぐ渡米しなさいとまで言ってくれた。そしてホテルを出てホームステイをしながら何度かレッスンを受け、2月の試験当日。バッハの平均律に始まり、ベートーヴェンソナタ、シューマンの幻想曲、ガーシュウィンのプレリュードを弾き、ノリノリの雰囲気で試験を終え、会場を出たら後ろからブラジル人の先生が追いかけてきてハイテンションで絶対キミを生徒にしたいと言い、角を曲がったらアメリカ人の先生が待ち構えていて、ブラジル人の先生には私から話しておくから、キミは私の生徒だよ、と言って去って行った。
本当はすべり止めのつもりだったこの大学で、とても楽しく過ごせそうな気がした。実際、試験までの1ヶ月間滞在をして、あぁここが私の居場所だと感じたこの場所でようやくのびのびピアノが弾けるんだなぁと思いながらも、一応本命のもう一校の試験が1ヶ月後にあり、まだ一度もレッスンを受けていない課題曲もあり、一度帰国をしたその夜。恩師に報告の電話をしているところへ、恩師の親戚から恩師宛にキャッチホンが入った。それが三度目の悪夢の始まり。
その夜、何度恩師に電話をかけてもつながらず、そんなに長く何を話しているんだろう。その夜は遅くなってしまったので諦め、翌日の夜再びかけ直すと、恩師の旦那さんが出た。「あぁ・・・◯◯さんね。ちょっと待っててくださいね。」長々と待たされた後、恩師の「アナタ、なんてことしてくれたの」という怒りの声が聞こえてきた。
前夜の親戚からの電話は私に関する苦情だった。私がいかに礼儀知らずだったか、いかに遊び呆けていたか、いかに他の日本人留学生たちに悪影響を与えたか。そして挙げ句の果ては恩師の悪口を言っていたと。どうやったらそこまで嘘をつけるのか、未だに理解に苦しむほどのデタラメばかり。それぞれ語った出来事は確かにあったことだけど、私の取った行動や結果はすべて嘘。人が悪意を持って嘘をついたり人を傷つけようとすること、恩師とはその頃すでに10年近い付き合いだったにも関わらず何をどう説明しても信じてもらえなかったことの両方がショックで、本当に久しぶりに声を上げて泣いた。
何も悪いことをしていないのに、なぜこんな目に遭うんだろう。ピアノなんて弾いているからこんなに嫌な目にばかり遭うんだ、今度こそ本当にピアノは辞める。とりあえず飛行機とホテルを取ってしまっていた学校の入試だけ受けに行き、もちろん玉砕した後、アメリカ人の先生には長い長い手紙を書き、もう普通に働こうと仕事探しを始めました。英会話教室の受付を始め、それなりに楽しんでいた夏のある日、アメリカ人の先生から手紙が届いた。しばらく家を空けていたけれど、ツアーの合間に家に戻ったら出したつもりでいた返信の封筒が食卓の上に置いてあるのを見つけて慌てて書き直していますという書き出しで始まり、一人の、私の専攻には関係のない人との誤解が理由でアメリカで学ぶチャンスを棒に振るなんて間違っている。事務局には私から掛け合うからもう一度I-20(入学許可証)を発行してもらって今すぐアメリカ大使館の予約を取りなさい、という内容だった。誤解、misunderstandingという一言で片付けるにはちょっと事が大きい気がしたけれど、わざわざ改めて手紙を書き直してくれた先生の気持ちが嬉しくて、先生に電話をかけ、学校にも電話をし、クラス分けの試験は先に受けに来てもらわないと困るけど、そのあとはいったん帰国して学生ビザを発行してもらってから入学手続きを始めるからと学費納入期限を延ばしてもらい、夏休み中の8月末に再び渡米。クラス分け試験を受け、入試の時に仲良くなった別の大学に留学して(転校するために受験して)いた日本人の女の子と一緒に廊下を歩いていたら、夏休みでいないはずの恩師の親戚が前から歩いて来た。その瞬間の、私はもうこの学校には来ないと思っていた相手の「やばっ」という表情と、顔を見た時の自分の怒りと殴りかかりたいほどの衝動を目の当たりにして、この状況で2年間ここで過ごすのは無理だと悟り、それまでは何も悪いことをしていないのにと思っている自分が実は一番嫌なヤツで、アメリカでもウィーンでも気付かないうちに相手を不快にさせていたのかもしれないと思うことも増えていたけれど、あの一瞬の表情を見て、あぁ、やっぱり理不尽な嫌がらせをされたんだなと思い、隣りを歩いていた子も、私の話を聞いてもこちらに非がないのにそんなことする人がいるのか半信半疑だったけど、あの表情見た?やっぱりまゆみちゃん悪くないよ。悪だくみを見つかって今にも逃げ出しそうな顔してたよねと言ってくれたのを聞いて、ようやく自分には非がなかったんだと思えた。
日本に帰って、I-20を破り捨て、ピアノからは離れようと決めた後、某社で秘書として働き始め、ピアノを弾いていない私のことを受け入れてくれる人たちがいるという今から考えればごく当然のことが嬉しくて、この人たちにピアノを聞いて欲しいなと思い、その社屋の向かいにあるビルのオープンスペースで友人とデュオコンサートを開き、その日を境に一切ピアノに触らなくなった。
これが(もうずいぶん前のことなので記憶も曖昧にはなってきてるけど)ピアノをやめた本当の理由。夜中に目が覚めた時の「入試での手応えのなさから自分の才能に見切りをつけた」という夢が記憶にすり替わりそうな感覚があまりに怖かったので、一度書いたはずだけどどこかに消えてしまったこの一連の出来事を改めて文章に書きだすことにした。すっかり克服した気になっていたけど、やっぱり今でも痛いなぁと文字通り痛感した。
最近、音楽はもっぱらSpotifyでクラシックを流しっぱなしにしています。Arthur Rubinsteinの50 Master Worksというプレイリストを再生していたのだけど、不意に流れてきたショパンのバラード第2番を聞いて、大学2年(多分)の試験曲だったので思わず聴き入ってしまい、我ながらよくこんな難しい曲が弾けたものだと感心してしまいました。実際にはさほど苦労をした覚えがないので、技巧的には当時の私にとって難しいものではなかったのでしょうけど、ピアノから離れて15年経った今の私には、こんなの弾いたのか!と驚くほどです。
とある学科の試験でD(不可)を取っても、試験後の授業でピアノを披露すれば、その演奏がどういうものであれ、温情でCにしてもらえるという素敵な先生だったのですが(なので誰も授業を聞かないしDが続出)、まんまとDを取った私はまだ譜読みを過ぎた程度の段階でさっさと弾いてしまうことにしたのですが(多分レッスン1回受けたかどうかの時)、その時に先生から「何も足さない、何も引かない」というサントリーのCMのコピーを頂戴することになったことを覚えています(笑。
久しぶりにピアノのコンサートに行ってきました。ポスターには「女性離れした力強さ」って書いてあったんだけど、全然そんなイメージではなく、とても丁寧な演奏でした。もちろんホールに響き渡るダイナミックな音も出すけれど、まるで打ち明け話をされているような、そんな印象が残りました。それと、左手が表情豊かで好印象でした。
スカルラッティ
ソナタ ホ長調 K.380
ソナタ ニ短調 K.141
ソナタ ニ長調 K.119
ベートーヴェン
ピアノソナタ 第14番「月光」
武満 徹
遮られない休息
ショパン
ワルツ 第1番 変ホ長調「華麗なる大円舞曲」作品18
ワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64-2
ワルツ 第8番 変イ長調 作品64-3
ピアノソナタ 第3番 ロ短調§アンコール§
ショパン
ワルツ 第6番 変ニ長調 「子犬のワルツ」作品64-1
ラフマニノフ
13の前奏曲 嬰ト短調 作品32-12
コンサートの後は、余韻に浸るためにもちろんAfternoon Teaへ。コンサートでピアノの演奏を聴いた後はいつも「人生の半分、無駄だったなぁ」と思ってしまう。もちろん言い方が悪いのは重々承知の上で。そして「決して無駄ではなかった」という相反する気持ちを自信と共に持ち合わせた上で。
午後からピアノのコンサートを聴きに行ってきました。今まで名前すら聞いたことのないピアニストでしたが、知る人ぞ知る・・・なのでしょう。
前半は大好きな曲なのに退屈すぎてビックリ。やる気がないのか年齢的なものなのか、気持ちが入っていないというか手を抜いているというか。演奏が間延びしてるというのがピッタリくるかな。つまらなくてつまらなくて、もうその場で立ち去りたいぐらいでした。休憩で帰ろうかなと思ったりもしましたが、とりあえずガマン。いつもは休憩時間になると、それまで息を詰めていた分、観客たちのため息で空気が緩むし、連れ立って来ている人たちが「すごかったねぇ」と言い合う浮き足立った雰囲気が蔓延するものなんだけど、今回はみんな腑に落ちない顔をして特に感想を述べ合う様子もなく。チラシの謳い文句に疑問を抱いているのが手に取るように分かりました。(演奏中もあまりに退屈で周りを見回してたんだけど白けた空気が漂っていたし居眠りしている人多数)
そして後半。まぁなんとなく予想はしていましたけども。だから帰らなかったんだけども。ガラリと演奏が変わりました。ドラマティックな弾き方をする人だなぁ。前半はまったくピアノが鳴っていない気がして、ピアノのせいか(Steinway&Sons D-274だそうで)ホールのせいかと思っていましたが、後半はしっかり鳴り響いてました。本当にいい気分でラストまで聴かせてもらえて、アンコールも好きな曲で生演奏は今まで一度も聞いたことがなかったので良かったです。
ホールから出たら風は強いけれど爽やかないいお天気で、この優雅な気分を続かせたくてアフタヌーンティーでお茶をしてから帰宅しました。
台風の中、マレイ・ペライアのコンサートへ行ってきました。どうなることやらと思っていたけど、行きも帰りも特に問題なく、無事素晴らしい演奏を聴いてくることが出来ました。曲目は下記のとおり。
バッハ/フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV 815
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調「熱情」 Op.57
シューマン/ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26
ショパン/即興曲 第2番 嬰ヘ長調 Op.36
ショパン/スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31
コンサートが始まり最初のB単音を聴いただけで鳥肌が立ってしまい、否が応にも期待が高まり、一瞬で曲に惹き込まれました。ちょっと抒情的すぎるかなとも思いましたが、やっぱりペライアの演奏は好きだなぁと思いながら聞いていました。次の熱情は自分が何度も弾いた曲だったので、勝手に頭の中で音楽を歌いだしてしまうけれどタイミングはもちろん音の出し方も全然違ったりして、そう弾いちゃうのか!という驚きや楽しさでいっぱいでした。その音は扉をたたく音だったのか!という今さらな気づきもあったりして(笑。
休憩を挟んで後半。ウィーンの謝肉祭の道化はサビというか冒頭のフレーズしか覚えてなくて(笑)、一曲丸ごと向き合って聞いたのは実は初めてで、シューマンの音楽はいつも慣れるまで過剰すぎる気がしたり野暮ったく感じたりするので、あんまり楽しめませんでした。即興曲2番は、あぁやっぱりこの人はショパンが一番似合うなぁと思いながら、次の曲への期待でいっぱいになったところで、曲の変わり目で舞台袖に戻ることなくそのままスケルツォへ。この曲も私はたぶん高校生の時に弾いた気がするんだけど、あぁ私は何も分からずに弾いてたんだなぁと痛感しました。こんなにドキドキする曲だったんだっけ。それにこの曲に限らず当時は冒頭や有名なフレーズを弾く/聞くのが好きだったけど最近は中間部分にときめくようになっていることを再確認。
さらにアンコールを3曲。
ショパン/ノクターン 第4番 Op.15 No.1
ショパン/エチュード Op.10 No.4 嬰ハ短調
ショパン/エチュード Op.25 No.1 変イ長調 エオリアン・ハープ
私はいつから小曲が好きになったんだっけなぁ、たぶん80歳ぐらいのおじいちゃん先生がトロイメライを弾いているのを聴いた日からだな、と思いながらノクターンを聴いていたら、こんなに集中して大曲を弾いてきた後のアンコールでOp.10-4弾いちゃうの!?と驚いたけれど、そっかこの曲は力要らないのかと愕然としてしまうほどに脱力してあっさり弾き切ってしまい、最後のエオリアン・ハープは天上の音楽というのにピッタリな演奏でした。
今回のコンサートは総じて素晴らしかったんだけど、ときどき「きっとこの後のサントリーホールに照準を合わせてるんだろうな」と思ってしまったりもして、完全に曲に入り込むのが難しかったというのも正直なところです。とは言っても、ただ譜面通りに画一的に弾くのではなく同じ音同じ記号でも指の置き方腕の使い方その他諸々で音はまったく変わるしピアニストも身体全体が楽器なんだよなというのを視覚的に納得できるし勉強になる楽しい時間でした。
今年はよくピアノを聞きにコンサートホールへ足を運びました。最後は、12月12日にすみだトリフォニーで聞いたクリスティアン・ツィメルマン。今年はドビュッシーイヤーということもあり、ドビュッシーメインのプログラム。
ドビュッシー/版画より
1.パゴダ 2.グラナダの夕べ 3.雨の庭
ドビュッシー/前奏曲集第1巻より
2.帆 12.吟遊詩人 6.雪の上の足跡 8.亜麻色の髪の乙女 10.沈める寺 7.西風の見たもの
シマノフスキ/3つの前奏曲(「9つの前奏曲 作品1」より)
ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
これまでピアノのコンサートに行くと、フラッシュバックが頻発するし、それに付随していろいろな思いがが去来して自分の不甲斐なさに涙ぐみ、「そこにいるのにいない」という状態になるのが常でした。が、最近ようやく曲に入り込めたり、曲を感じることができるようになってきたところでの今回のツィメルマン。いやーーー、楽しかったです!まさに身体全体が指になっているのを目の当たりにして感動しきりだったところへ最後のショパンの最終楽章で低音のテーマが出てきた瞬間には鳥肌が立つほどでした。久しぶりにピアノ音楽そのものの素晴らしさに涙が出ました。
音楽は聴くものだけど、視覚から入ってくるものもやっぱり大事だなぁ。弾き方、指や身体の使い方で音が全然変わるし、ずっとCDで聞いていた音楽に視覚が加わると情報量も一気に増えるし、勉強にもなる。素敵だった、感動した・・・は多々あれど、楽しかったと思えたコンサートはペライアに続いて2度目!なんか、どうでもいい例えだけど、我が家の初CDはa-haのHUNTING HIGH AND LOWだったんだけど、Take On Meを何度も何度も聞いていたその年の世界紅白歌合戦にa-haが出演していて耳だけで何度も聞いていた曲がTV画面の中で実際に人が演奏して歌っていたのを観た時の感動に似てる(笑。
それにしてもレッスン受けたいなぁ、とつくづく思いました。(あ、ツィメルマンのレッスンという意味ではありません。)練習は好きじゃないけど(笑)レッスンは大好きだったんだよな。先生の一言でがらりと変わる自分の音にアドレナリンが出っぱなしになるので、レッスン後はやたら饒舌になってたのを思い出した。
そして、ツィメルマンは本当に素晴らしいピアニストだし、今回のコンサートも大成功だったと思うけど観客に向かって演奏するタイプではないんだなと思いました。自分と、そしてピアノと向き合って会話をしながら弾いていたように感じました。まぁ、だからどうこうっていうのではなく、そう感じただけですが。それでも伝わってくるし、聞いている人を感動させてしまうってのもまたすごいです。
先日、約20年ぶりぐらいでポリーニの生演奏を聴いてきました。Pollini Perspectives 2012と題して4夜に渡ってベートーヴェンの後期ピアノソナタを弾き尽くしたうちの初日とラストの2度、サントリーホールへ出向いてきました。
初日はピアノソナタ第21、22、23番。正直、ガッカリでした。20年前と言ったら全盛期だった頃の演奏と、若い頃の録音でしか耳にしていなかったので期待値がすごい事になっていたせいもあるかもしれません。バリバリ弾いて、マシンだと言われてしまうような人に、円熟と枯れが加わったらどんな素敵なことになるんだろうとワクワクして行ったのです。が、最初のワルトシュタインからもう・・・なんだコレ、舐めてんのか?と思ってしまったほど。なんかね、たとえばソナタを弾きこなす程度の技術を持った人が、小さい頃に習ったブルグミュラーやトンプソンをさらりと弾いて見せた感じと言ったら伝わるかな。ちゃんとピアノと向かい合って弾いているんじゃなくてこの曲知ってる?アナタも習った?と弾いてみせる感じ。鍵盤の下まで弾き切らずに力を入れずにさらりと。ピアノが弾けると周りに知られて、あの曲弾いてみせてよと誰でも知っている曲をリクエストされ、でもそんな曲は敢えて習ってないから弾いたこともないけど、まぁチョロチョロっと弾いてみせるだけなら出来るかなと思って弾き始めたら意外と手こずった・・・みたいな。最後まで聞いてみれば、あぁ、きっと熱情まで弾き切るためには体力温存するしかなかったのかなと好意的に解釈できなくもなかったけど、それにしたって・・・。むしろ、あーもう最後の来日になるのかもしれないなぁ・・・と淋しくなってしまい。きっとそう思った人たちが多かったのでしょう。まさかのスタンディングオベーションが。
そんな初日だったので、まったく期待もせず、正直、友人を誘ったことを申し訳なく思いながら再び最終日のサントリーホールへ。この日はピアノソナタ第30、31、32番。最後の3つのソナタ。第30番は自分的にも思い入れのある曲なのですが、一瞬でひき込まれました。いや、実際にはちょっと無神経な観客がいたので若干・・・かなりイライラしてましたが。でも、いろいろなことを思い出しながら、やっぱりさすがだなぁと思わされた演奏でした。第31番は、ソナタ全曲の中で一番のお気に入りです。隣席でのまさかのクレームに一人ウケしつつも、静かになったので集中して聞けることに感謝(笑。第30番の終盤でも思ったけど、今回のポリーニは高音の煌めきが際立っていたように感じました。そして第31番、32番ともに・・・神様が降りてきたような、そんな至高の瞬間が何度もありました。いやいや、ポリーニさすがだわ。
初日と最終日と聞き比べて、もちろん本人の調子もあったにせよ、やっぱり超一流と言われているピアニストにも時代(年齢)によって相性のいい曲というか弾き時というのがあるんだなぁ、とつくづく感じました。ワルトシュタインにしても熱情にしても、弾き手にもそれだけの、ほとばしるぐらいの「熱さ」が必要で、“内に秘めた”熱さではダメなんだろうな。あの年齢のポリーニにはもう手に余るならぬ心に余る曲だったのかもしれない。逆に第30、31、32番あたりの曲はポリーニの枯れ具合とも心のありようともぴったりマッチしたものだったように思えました。
ということをずっと書こうと思いながら先延ばしにしていたのだけれど、今、紅白で美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を聞いて心が震えたので勢いで書き上げました。
===
帰りに友人と寄ったワインバーで、また幸せな時間を過ごした記念写真。
大好きなChateauneuf-du-Pape。
お店のマスターにお裾分けしていただいたポートワイン。
夕方、ガーシュウィンを聞いてフラッシュバックした記憶のこと。
某大学の入試の時のお話・・・5、6人の先生たちの前で課題曲を全部弾き終わった後、軽く雑談っぽくなったんだけど最後に「何か質問ある?」って訊かれて「いえ、大丈夫です」って答えたら「あ、私はあるよ」って言い出したおじいさん先生がいて。
「日本でもガーシュウィンは人気あるの?」
「いえ、もちろん好きな人はいると思いますが、音大ではあまり彼の曲を選ぶ人はいないです・・若い人やジャズを好きな人は弾いたりしますけど、特に年配の教授は好ましく思わないみたいです。実際、私の先生には本気でその曲で試験を受けるのかと何度も言われました。」
「私は年配の教授だけど、ガーシュウィンが好きでね(笑。それに、キミがこの曲がとても好きだということも分かったよ。とても楽しそうだったし、聴いているこちらも楽しくなったよ、ありがとう。それから、合格おめでとう!」
という、素敵なやりとりがあったのでした。
何しろ、さほど広くない部屋で、ピアノから1mぐらいのところに先生たちがズラリと並んでいて、私がガーシュウィンを演奏し始めたら、かかとを踏み鳴らしたり、膝の上に置いた手でリズムを取り出したり、そりゃあ弾いてて楽しくもなるって。
以前は読書家を自認してたはずが、ここ数年はなんとなく本を読めなくなってたんだけど。読んだとしてもノンフィクションばっかりで、特に海外生活のエッセイとかが多かったかな。それが、このところまた小説をよく読むようになったのです。通勤もしてないのにね。とは言うものの、あんまり心に残る物語には出会えていなくて。映画化もされるらしい阪急電車はけっこうジーーンときたけれど、あとは何を読んだかも忘れちゃったぐらい(ハハ。
そんな中、個人的事情によりだいぶ入り込んでしまい、一気読みした小説がコチラ。
さよならドビュッシー (宝島社文庫)中山 七里 宝島社 2011-01-12by G-Tools |
ミステリーとしてももちろん面白かったけど、最初のレッスン風景がね、何と言うか・・・ズドンと来ました。私、レッスンに行くまではものっすごく憂鬱だったけど、レッスンを受けている間は楽しくて仕方なかったから。どんどん変わっていく自分の演奏にアドレナリン大放出で、レッスンが終わるといつもより饒舌になるぐらい。
またレッスン受けたいなと思いつつ、先生を探すところから始めないとなー、いやその前にピアノ買わないと・・・でもピアノ買っても置く場所ないし・・・のループに嵌ってるところなので、読後は切なさ倍増でした。
※著者の中山七里氏の息子さんが音高生だそうだけど、音楽をやっている人でも演奏風景など全く違和感なく読める描写です。
ちなみに、私がドビュッシーで一番好きな演奏家は、Jacques Rouvierです。
ドビュッシー:ピアノ作品全集ジャック・ルヴィエドビュッシー コロムビアミュージックエンタテインメント 2005-06-29by G-Tools |
この作品全集は、作中に出てくるアラベスク・月の光とも入ってるし、私の大好きな喜びの島も入ってるから個人的にもお気に入り!とか言いつつ、このCDどっか行っちゃったんだよねぇ・・・MP3にもしていなかったみたいだし、もう一回買うかなぁ。